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自分のためのモラトリアム期間③

今が7月入って1週間過ぎたところ。
ここから8月末くらいまでを私のモラトリアム期間とする。
もうすでにひと月くらいこの調子でやってきているのあと2か月。自分で設けた猶予期間でやりたいこと、決めごとのメモ。


①衆議院選に向けて、「GO VOTE」刺繍キーホルダー/バッジ作る。

都知事選で、票を集める人≠人格者であることを痛感した。組織票の怖さや強い物言いに惹かれる心理を利用したかのような票の取り方。

色々言いたいことはあるけど、自分に照らしてみて、じゃあ己はやれることそれだけ?という問いが立った。以前は大手カフェチェーンに属していたこともあって、自分が表立って社会活動をすることに抵抗感があった(会社が大きいので、めんどくさいことになったらどうしようというビビり)けど、もうフリーランスなのでそういうことを考えなくてもいい。個人として批判されることはあるかもしれないけれど、節度をもってやればいいだけの話だ。刺繍などの手芸を通してアクティビズムを行うことを「crafitivism」と言うらしくて、やりたかったんだ。暮らしと政治をつなげたい。

ということで、「GO VOTE」の刺繍たくさんして、バラまけるところを探そうと思います。お金はもらうつもりはありません。

②新しいコミュニティさがす

具体的なものは決めてないけど、新しいコミュニティにとびこみたい。友達が増やしたいわけじゃなくて、自分の度量を試したい。自分を看板にして暮らしていくってこと。

③ちゃんと境界を引く。

昨日これ読んで急に視界が晴れた感じがある。

人から何かを言葉を求められたり相談されたりする時、つい、言葉を尽くして考え込んでしまう。私の場合こうしてるよ、こういう考え方をもとにこう行動してるよ、このラジオ聞いてるよ、本読んでるよ、など。介入しすぎだと自分でも思う。前職の時は「どんなところから情報得てるんですか!教えてください!」みたいなことがよくあって、真に受けなきゃいいのに、本を貸したりおすすめのラジオを教えたりしていた。本が返ってこなかったことなんでざら。これ、相手を思い通りにしたいということはなくて、ただ「暖簾に腕押し」感がものすごいのだ。

私は差し出してばっかりいる。過剰でやりすぎだと自分でも思う。そして自分がやりすぎているにも関わらず相手から「自分ができる」を差し出されていない(と感じている)。これがモヤモヤの構造だったのかもしれない。
昨日友人にこれを話したら「そういう人が寄ってくる。」んだそうだ。

どんな関係性でも慮りは必要で、親しいから何でも遠慮なくというのは虫が良すぎると思っている。関係性を持続させるには、双方の努力が必要だ。
私はこの期間でちゃんと境界を引く練習をする。自分ができることと相手ができることのバランスが崩れたと感じたら境界を引く。私の感覚でしかないけど、自分のことを大切にできていない、されていないというのが基準だ。

④境界を引くための方法として星読みできるようになる。

境界を引いた後のこと。今回過剰だと思った部分は星読みと合わせて人に伝えられるように、ちゃんと対価をもらえるものにする。

⑤仕事と暮らしのバランスを定める。

何をどういうバランスでやっていくのか決める。まず暮らし方を優先する。

⑥伝えたいことを伝える。

たとえば両親、うちはあまりお互いに何を考えているかとか話す家庭ではなくて、犬が居たころは犬を通して会話していた。今は両親にとっての孫の話をする。そういうものだと思っていたけど、もっとお互いの話をしてみてもいいかもしれないと思っている。今こういうことを考えているとか、子供のころ、実はこういう気持ちになっていたとか。父親はどんどん無口になる(おじいちゃんにそっくり)し、母親はもともと「自分がこうしたい」が強くなくて娘や孫の要望を優先しがちだ。親が何考えてるのかも知りたい。
自分を整理するという意味でも。
両親に限らず、自分を照らしてくれる何人かとは会って、たくさん話をしたい。


朝からこれ考えながら、コーヒー淹れたり猫と昼寝したりしていたらもう夕方。買い出しに行きたいけれど、猫が気持ちよさそうに寝ていて後ろ髪をひかれる。今日じゃなくてもいい買い出しだけど、今日行っておけたら楽なんだよなー。

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