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遅刻を許したら、楽になった


昨日が振替休日だったので、実質、今日が週初めの日。
まあ行き渋るだろうなとは思っていた。

「頭いた〜い」


うん、今日は雨だしね。
昨日行った、スポーツアミューズメントパーク?ゲーセンのスポーツ版みたいな施設は音が大きくて、我々聴覚過敏族にはちょっと辛いねーなんて言ってたからそのせいかもしれないしね。


今日は下の子も幼稚園休みだし、まあ最悪休んでもいいか、なんて思いながら、
「行く?休む?」
と聞いてみた。

まあ、「行きなさい」寄りの聞き方だったけどね。

「うーん、行く。」
と言うものの、遅々として進まない準備。
いつもならここでカリカリイライラするけど、いや今日もしてたけど、ちょっと待ってみようかな、と思った。
学校には、
「本人が気持ちと戦っているのでしばらく待ってみます」
と連絡して。


のらりくらりと準備して、15分遅れで登校。
多少の渋りはありつつも、教室に入れたのは今入れてもらってる支援級の先生を好きになれたからというのも大きいと思う。


【ママの携帯がいつでも繋がるかどうか】
というのが長男にとっては大きいポイントのようで、
「いつかけてきてもいいよ〜。携帯いつでも持ってるからね〜。」と言うと、少し安心して入っていく。

この余裕が、子どもの安心につながるのかも。

学校に行けているからと言って安心ではない。
学校に行けることはゴールではないのだ。
むしろ、学校に行けるから良かったね、という気持ちは、大事なことを見逃してしまうことがあるかもしれない。

例えば強迫行為があることとか。
母子分離不安が改善されないこととか。
頭痛が改善しないこととか。




ところで私は、発達支援センターが主催するサロンに初めて参加してきた。

なんとなく感覚で理解してもらえる。
「わかるわかる〜!」ってたくさん言ってもらえる、安心できる場所だった。


【とにかく、家に籠らないようにしよう】

ということだけ、私自身は心がけている。
家の中にずっといると、外に出ることが怖くなるからだ。
家から出られる間はまだ大丈夫かな、という一つのバロメーターでもある。


とにかく、疲れたなぁ、と思う。
それでも、「何か新しい働き方を見つなければ」と思うのは、今の「時間で動く働き方」が窮屈だからだ。
教えることは好きだし、レッスン自体は楽しいのだけれど、約束の時間があるとか、拘束される時間が決まっている、というのが、今は窮屈なのだ。


時間という概念の奴隷になっている。

というのが、私の【時間】というものに対する感覚だ。
私は本来その感覚が苦手で、辛い。
時間を守れないこともしばしばだし、でも世の中は「時間を守れないのはダメなやつ」という前提のものに成り立っているから、本当に辛い。
私は自分がダメなやつなので、子どもたちにはその苦労をさせたくないと思うのだけれど、やっぱり難しい。
だから時間が守れないのは私の育て方のせいなのかもしれないし、子どもの特性のせいなのかもしれない。

時間と場所に縛られない働き方をしたい。
いや、むしろ本当は仕事なんてしたくないんだけど、しなきゃいけないならそういう働き方がいい。
だからオンラインビジネスがいいな、と思うけど、基本「面倒くさいことしたくない」上、「これと言って情熱傾けられるものもない」ので、「あ、これで行こう!」と思い付いても、寝て起きたらその気持ちは鎮火している。


子どものことをちゃんとやりたい、という気持ちはある。
家のことをきちんとやりたい、という気持ちはあんまりない。
専業主婦なんてつまらねぇな、ダセェな、と思いながらも、
何もしたくない、自由をくれ、誰も私を縛らんでくれ、と思ってる。

専業主婦に対するイメージが悪いのは母の生き方に対する嫌悪感から来るものだ。
母のようにならないために勉強や音楽や仕事を歯を食いしばってがんばってきたのに、
専業主婦になったら私は自分で自分の人生を否定してしまうことと同じな気がする。
だから私は止まらない。
止まるのが怖いのだ。
肩書きが無くなった自分に価値を感じないからだ。


頑張ることは歯を食いしばることだ。
何者でもない自分は無価値だ。


っていうあたりがもう間違ってるよね。
私が人生に充実感を感じられないのはここら辺に原因があるだろうね。


こうでなければならない。
こうあるべき。


を外していけば、きっと人生は楽になる。


遅刻をしてはいけない。
遅刻をさせてはいけない。
それは、子どもがだらしない人間になったら困るから。
私がだらしない親だと思われたくないから。

将来困らないように。
小さい頃からの積み重ねが大事。

そういうのは全部プレッシャーでしかなく、将来困らないようにしているはずのことが現在を苦しめている。



「働く」ことに関しては、箱に入る方がずっとずっと楽だ。
だけど箱に入りたくないと思うのは、自由でいたい、自分の身につけてきた能力を遺憾無く発揮したいとか思うからだ。

私には能力があるはずなのに、発揮させ方がわからない。
そもそもその持っている能力を「楽しい」と思うかはまた別の話で、私はもう楽しいことしかやりたくない。


コツコツとビジネスを構築できない負け犬の遠吠え感もあるな、と自分でも思う。


いろいろ考えてると疲れますね。

おしまい。





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