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私の日々を救ってくれるものとの出会い

前にも書いたけど、今、エレガントメッシュバッグというものの講師になろうとしている。
これは私にとっては趣味の延長で、これでがっつり稼いでやろう!なんて思ってない。

エレガントメッシュバッグたち。
↓↓↓

ポシェット。一昨年私が作ったやつ。
エレガントメッシュバッグたち。先生の作品。



こんな風にして作る。

レッスン中。



このエレガントメッシュバッグ(長いのでEMBにする)との出会いは、私にとって【救い】だったのだ。

当初、もちろん「講師になろう」などとは微塵も思ってなくて、そもそもポーセラーツ(白磁にシールのようなものを貼ってデザインし、焼き付けする)をママ友と作りに行っているサロンで偶然出会ったものだ。

ポーセラーツは楽しいけれど、私は不器用な上センスもなく、
「これ向いてねえな」
と早々に悟った。
ただの趣味なのでセンスがあろうがなかろうが楽しく作れればそれで良いのだが、
一緒に行くママ友たちのセンスの良さの中、ただの趣味なのに引け目と情けなさを感じてしまうのもなんか嫌だった。


ポーセラーツの先生はそれはそれは器用な方で、ポーセラーツ以外にもいろんなものを教えている。
粘土みたいなので作るアクセサリーとか。
その中で、私は写真のバッグたちにグッと心を掴まれた。
そう、私は袋好き。
子どもの頃から袋好き。

私はこのサロンに、作品作りというよりもお喋りをしに来ているので、ぶっちゃけ作るものはなんでも良かった。
だから、バッグを作ることにした。
ちょっと高いな、と思ったけれど、実用的だし、そうだ、入園式や卒園式など、改まった場にも持っていけるな、次男の入園式に持って行きたいな、ブランド物やデパートで買うことを考えれば、レッスン代も含まれてこの値段なら、許容範囲かな。
と、手を出した。


作り始めてみれば、思ったより簡単で、でもなかなか時間のかかる作業だった。
チマチマ、チマチマ。
コツコツ、コツコツ。
…やべえ、これ、いつ出来上がるんだろ。

本来2回で出来上がるはずのバッグ、私は半年かけて作った(喋りすぎ。手が止まってただけ)。

はじめはジリジリしていたバッグ作り、縦糸が終わり、横糸を編み始めると、出来上がりが見えてきた。
編み上がっていく充実感が湧いてくる。

出来上がってみると、既製品よりもかわいく見えた。
いわゆる「愛着」だ。



ようやく完成したというのに、
調子に乗った私は大物(大きいトートバッグ)に手を出した。

この頃、長男の登校渋りが始まった。
まだ発達障害もわからず、悩みに悩んでいた私は、今よりずっと悩んでいた。
途方に暮れていたし、しょっちゅう泣いていた。

元来ものを作ることは好きだが、著しく不器用な上、強迫性障害も患ってしまったため針もカッターも使えなくなった私は、自分の人生から物作りを諦めていたが、EMBは道具を使わない、私でもできる物作りだった。

この頃は毎日が色褪せて見え、先生のサロンに行くことだけが楽しみだった。
そして、チマチマジリジリコツコツとバッグを編んでいたわけだが、この単純作業の繰り返しは、なぜかスッキリするなと感じた。
この無になる時間は瞑想に近いとすら感じた。

そして、みんなそれぞれ自分の作りたいものを作りながらもおしゃべりを楽しみ、そしてそのおしゃべりは時に深い内容まで及ぶ。
これってすごい貴重、この時間てすごい尊い。
そう思った。


いくらバッグ好きとは言え、さすがにバッグ職人になろうとは思ったことはない。
それに私はおしゃれじゃないし、そんな私がこのめちゃくちゃおしゃれなバッグを作っても説得力ないよね、と思っている。
思っているけど、このバッグの魅力は、ただオシャレなだけじゃない。
楽しい時間を一編み一編みに編み込んでいく。
このバッグを見るたびに、自分が一生懸命これを作ったことや、楽しい時間を思い出す。
まして、ここしばらく自分の人生に充実感も満足感も味わえておらず、自信を失いかけていた私は、このバッグを作ることで、ものすごい達成感を味わうことができ、すごく満足したのだった。

私は「おしゃべりする場」を求めて、そしてこのバッグレッスンがそのきっかけになると確信して、レッスンをしたくて講師資格を取ることにした。

雑談は大事
教えることが好き
物作りは幸せホルモンが出る(先生調べ)
達成感
充実感
「自分にもできた!」感
集中することによって得られる癒し
そしてもれなく絶対褒められるバッグが出来上がる


いいことづくめすぎて震える。

これは私が勝手に感じていることで、みんながこれを感じるとは限らない。
限らないというか、自分が感じているほどみんなは好きではない、素晴らしいと思ってない、というものだ、世の中って。
ということを、私は起業を通して知っている。

だからこそ、自己満でいいのだ。
「楽しいから一緒にやらない?」
という、私の呼びかけ集まってくれる人だけでいいのだ。


そして今、私は講師資格取得を目指しているわけだが、特に宿題と言われなくても持ち帰った残り作業を日々チマチマと10分くらいずつやる。
コツコツ毎日やるとすぐ終わり、講師資格を取るために、途中で一旦ストップすることにしていた大物トートの残り作業にも取り組めている。
どんよりとした毎日の中で、EMBを編むことは、着実に前に進んでいることが目でわかる。
もちろん、やれない日もある。
それでも、やり続ける。
いつ解決するかわからない課題を抱えながら、それでも「やれば必ず前に進む」ということを、EMBは教えてくれる。
コツコツができなくなって落ち込んでいた私に、「それはあなたのせいじゃないと、ただ興味が逸れただけだよ。」と教えてくれる。(都合の良い解釈か?)

そして私がこの資格を取った先には、楽しいレッスンが待っている。
単純にこのバッグが欲しい人
物作りが好きな人
私と同じように癒しの時間を求めている人

目的はそれぞれだろう。
意味付けも人それぞれで、そこに私(教える側)の介入する余地はない。
私はただそこに淡々と「在り」続け、そして自分が感じたことを伝え続けるだけなのだ。
それしかできない。


それって、音楽教室の仕事も同じだな。
と、派生して、元々の自分の仕事のことも考えた。


子どものことがいろいろあり、
私は今、様々な選択を求められ、この先の人生を見据えた岐路に立たされていると思う。
一気にスッキリ解決できればそんなに嬉しいことはないが、
日々悩みの中で行きつ戻りつしながら、なんとなくじんわり気づいていくのかもしれない。


EMBも、どれだけ続けられるかわからない。
ある日突然、急にやる気がなくなるかもしれない。
だとしても、私は今はそれをやると決めた。
子育て始まると、何年も先の見通しなんて立たないと知った。
思い描いてみても、「普通じゃない」状況になれば、それは急に見通しじゃなくなる。
そして、何年も先の未来なんて、絶望しか感じられなくなる時もある。

だから、「将来」を考えるのはやめた。
ちょっと先の日々だけを考えて、その時いいと思ったことをやることにした。

とにかく、今の私には、今の私を癒すことの方が大事だ。


それにしてもアレだ。
物作りに自分が救われる日々が来るなんて、1mmも思ってなかった。
未来なんてわからない。



これも先生の作品たち。


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