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今日がなんの日か気にならなくなったのはいつからだろうか

出産してから、家族関係については考えることが多く、生きてきて自然についたヨレ、関係の歪みを考えたことで取ることができました。

育児は、ワンオペです。今でも。
夫は口も手も出しません。そういう人です、それでいいし、それもありだと思うから。義父母も同様で、そんな感じですが、良い人です。
心の距離なのか、アラームを出す距離なのか?距離の遠い家族関係があるんだなと、夫の家族から知りました。
義妹はそれが寂しくてグレたんかな?わかリません。
存在はあっても寂しくなる関係というか、そういう表現がいいのか。

仲が悪いわけでなく、ある意味自由なので、私はその関係も好きになりました。
愛情過多も、テイストが違えばうざいし、見返りを求めてくるものなら恐ろしい。
良し悪しでなく、自分の育った家庭しか知らないので、いろんな家庭があると結婚してもう一つを知るんですよね。

そして、

育児は真面目にやると、休日がありません。
要するに一人で時間を何してもいいよという日がない。

それが続くと、どんな日であろうが、なんの日でもルーチンに暮らしたいと思いはじめて、いわゆる誕生日にケーキ、豆まきに恵方巻、母の日の贈り物、とかいう準備を省略していました。
おめでとうとか声はだしてますよ。

やっていたのはお中元お歳暮の、ネットポチッ!これは手間いらずに気持ちを届けられるから。
年2回は必ず思い出して、私が送りたい人に元気でいようね、の気持ちを届けています。

年賀状は育児が始まり、廃止してしまいました。
それで音信不通の方も数しれずです。
私の存在も、印刷される中にあったというだけかもしれないね。

正月はどうする?家族の誰も不満なく、おせちはあってもなくてもいいよ、そばは食べようとかその時に決めたりしています。

私の育った家庭は、母の、ナニナニすべきルールで縛られており、それがあることが普通の子供時代でした。
母は、やらないとけじめがつかないとよく言っていましたが、子供心にけじめってなんだ?と思っていました。
その、けじめのためにイライラしていた母を思い出すと、手間かけて忙しかったんやろな、誰も感謝して嬉しそうでもなく行事参加してる家族だったなぁ…と今となればわかるんです。
自分が母となり、行事はノールールですが、子供からしてみれば、また大人になって色々気づくこともあるでしょう…

しあわってなんだろ?

体を自分で動かせて、好きなものを食べる健康もあって、私については幸せってこと。
今日がなんの日かは関係ないです。
子供にも聞いてみよう。

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