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ヌ 小かぶ それから サラダ

この歳になるまで植物を育てるなんてセンスも無いし、勉強が必要で手間がかかることだからやりたいと思ったことはありませんでした。うちの子供が小さい頃、花の苗を買ってただベランダの植木鉢に移して植えた記憶はあります。でもそれも枯れたらもうおしまい。そもそも根気の無い自分には、向かないことなのです。

なのに、一年前から野菜やハーブの水耕栽培をすることになりました。郵便受けに、パートタイマーの募集チラシが投げ込まれていたからです。

サラリーマンは卒業したし、お寺の役目も引継いでなすべきことはなし終えたと思っていたため、65を過ぎたのちの就労計画なんてろくに持っていなかった自分でした。でももし権利があるなら失業補償金を頂きたいという考えで、ハローワークに行きました。やはりそれはズルい考えでした。書類に必要最低限のことを書けばお金が振り込まれることはわかりましたけれども、職員さんの言葉や書類からは「就労意欲の無い老人に手当は出せない」というメッセージがチクチクと聞こえてきました。それは当然です。税金や保険を払う現役世代からすると、やる気のない自分のような爺さんに、失業されて気の毒だなぁという気持ちは湧いてくるはずがありません。

ならば覗いてみようか? どんなお仕事があるのでしょう? とハローワークにエントリーされている募集要項を見ました。しかしもう意欲が失せた自分に役目が果たせそうな職種なんて、見当たりませんでした。甘い考えの報いです。でも無理をする気持ちも湧かなかったので、時間が解決してくれるまで焦らないで待つことにしました。そんな時に水耕栽培のパートタイマーのチラシが投げ込まれたのです。

その内容に、何かのご縁というかお役目が果たせそうな兆しを感じました。そして気の向くまま水耕栽培の屋内ファームを見学し採用面接を受けたところ、幸いにも雇ってもらえることになりました。それから今までの一年間、若い仲間と一緒に時を過ごす好機をもらい、ハーブを栽培してティーバッグを作ることや野菜の種を蒔いて収穫してサラダの材料にすることを彼や彼女たちから教わりました。

現在自分が担当しているのは、そんな栽培に関わる一連の作業と、収穫したものにラベルステッカーを貼って然るべき場所に届ける業務です。情報管理の問題でそのものズバリは掲載できませんが、見出しの絵は若い仲間が考えてくれた素材をこちらで編集している考え方を表したものです。ほんとうに狭い領域の仕事ですが、サラリーマン生活で覚えたことも流用しながら最後のお役目が果たせそうな気分になっています。

ところで今回のご縁で特筆すべきことは、一緒になれた若い仲間たちが実にすばらしいということです。やりたいことや、やりたくないことという意識くらいは多少は持っていますが、人をどうにかしようとか人の上に立とうとかいうわたしたちが持つ我欲がまったくみあたらないのです。逆にこちらの汚れた部分が見えるだけです。そんな職場環境は、わたしの場合は初めです。

それにしても船・電気・放送・お葬式やお墓、そしてお寺に触れたあとの人生最後の仕事がすばらしい若者たちとの農業になるとは想像していませんでした。しかもこの流れは最初の船を除けば全部、意図をしてない向こうの彼方から届いたものなのです。見えない力がはたらいていることを疑ってはいけないと、心底から感謝する次第です。