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37 精神は感情とは違うと聞かされた

かつて自分があまり気にせずにいたことの中に「精神」という概念があります。「精神科のお医者さん」とか「起業家精神」や「がんばれがんばれという精神論」みたいな使い方しかしていなかったからです。宗教的な感性を重要視していなかったことが原因だと振り返っています。そのころには、いのちという概念も「生物として生きている時に維持しているもの」という理解でした。「精神科のお医者さん」というと医学・脳科学の領域だし、「起業家精神」「がんばれがんばれ」はどちらかというと意欲や道徳の領域で、これは考えや感情に近いことだと振り返るわけです。

50歳を迎える前にお仏壇屋に転職して、役員や顧問のお話を伺っていると自分の思っている範囲が狭かったことに気付きました。そこで助言を受けたのが「精神は感情とは違うよ」ということでした。

大切な方がお亡くなりになってなんとも言えない喪失感を持つことによって、悲しいという感情が襲ってくるのは確かだけれども、お仏壇を求めて手を合わせるのは「その感情を打ち消すためかというとそんな単純なものではない」というディスカッションがあって、その中で「精神は感情とは違うよ」という助言が与えられました。

楽しい時にテンポのいい音楽を聞いて、精神的に明るくなり楽しさが増幅したり、悲しい時にしずかな音楽を聞いて精神的に落ち着いたりすることと、お仏壇に手を合わせて大切な人との間を紡いでいく精神的ないとなみは次元が違います。

このディスカッションは「安心」の話に繋がります。