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29 イワシの群れ

大阪の小学生は、修学旅行は「赤福もちのお伊勢さん」で、夏休みは林間学校で「大阪より10度低い高野山」で一泊するのが定番でした。今、修学旅行や林間学校なるシステムがどうなっているかは知りません。ただ歳を取って振り返るに「伊勢神宮と高野山」に行ったというのは、誇らしいことだと思います。遅ればせながら50を過ぎたころ高野山には高野山真言宗という弘法大師さん直系の宗派があることを知り、数十年ぶりに家族で参拝したこともありました。

さてその高野山真言宗が医学界とコラボして「医療フォーラム」なるセッションを続けておられたことがありました。どこでその情報を得たかもう忘れましたが、参加した年の内容がすこぶる良かったので翌年も出かけていきました。

そのタイミングは東日本大震災という恐ろしい出来事があった年でもありました。前年のフォーラムでも医療の現場から宗教界にメッセージを出されておられた病院の院長先生が、この回でさらにまた強烈なエピソードと宗教界への強いメッセージを発せられ、自分の心も数千人の参加者とともに打たれてしまいました。

院長先生はホスピス病院を経営されていて、症状が厳しく人生末期にある患者さんによりそうことに努められている方でした。その病院は東日本大震災の直撃を受けることになった海沿いにあったそうです。第一波のけたたましい揺れが起こりとんでもない状況になって、でもその衝撃がひととき収まったころ先生の携帯電話に看護師さんから電話が入りました。「あの患者のおばあちゃんの家が心配なので見てきます」と。

ご存じと思いますがあの津波が来るまでは、すこしインターバルがあったのです。看護師さんがおばあちゃんの家に入り、その姿を見た瞬間にその波がやってきてしまったそうです。驚いた看護師さんが階段の下からおばあちゃんのお尻を押して2階に持ち上げたその時、看護師さんは波に飲み込まれて帰らぬ人になりました。おばあちゃんは、難を逃れられたそうです。

フォーラムで語られた院長先生の看護師の勇気ある行為と死を悼む言葉は次のような内容でした。すべては正確ではないかもしれませんがわたしの記憶に残っている通りに述べます。「彼女のその行為を知るまでわたしは、人間というのはまず自分が居て、そのまわりに家族が居て、友人が居て、社会があって、世界があって地球があり宇宙があると思っていました。でも今は違います。まず宇宙があって地球があり、世界があって社会があり、そこに友人や家族が居てはじめて自分が居るんです。」
「無数のイワシが海の中で巨大な群れを成してそれこそひとつのいのちとして生きている姿をご存じではないでしょうか。おなじ動物である人間も、群れを成してひとつになって生きているんです。」

院長先生は2年にわたっておっしゃいました。「わたしは医学者の立場で務めを果たしたいと思います。でもそれには限界があります。ですから宗教家の皆さまは皆様の立場でもって、いのちを救うお務めを果たしてください。医学界と宗教界はともに歩むべきです。」

東日本大震災のあと、キリスト教の神父さん牧師さん、神社の神官さん、お寺のお坊さんが宗教宗派を問わずその場に急行し行列を成して、海岸から海を見つめて祈りを捧げられる姿が何度も報道されていました。私は師と仰ぐ浄土真宗の僧侶の先生に尋ねたことがあります。「せんせ!浄土真宗は祈らへんゆうけど、ほんまのところどないですか?」と。師いわく「僕は出かけて行ったあのとき、祈ってました」と。

イワシの群れに、宗教宗派は不問だということです。