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⑥ 最後までやらないと、結局ゼロですよねー

40代後半で家電・衛星放送営業の企業を早期退職する際、再就職支援の制度適用を受けました。自分の能力や資質を診断してもらい、コンサルタントさんに助言をいただく良い機会に恵まれその縁で仏壇屋に入社しました。診断の結果で自分を見直す中で、飽きっぽいと見抜かれたのが一番ショックでした。それまで自覚が足りませんでした。

しかも助言いただいたにもかかわらず、飽きっぽさが性根にこびりつき払しょくできないまま過ごしました。「最後までやらないと、結局ゼロですよねー」という言われ方もしました。飽きっぽさの裏返しに目新しいものに目移りすることが挙げられますが、わかっちゃいるけどやめられない情けない自分でした。「あんたはメーカー系の営業だから、ちょっとやっては捨てて次に行くんだ。おかしい!」と言われた経験もあります。

65歳を前にしてリタイアする間際にも、お仏壇配達中に注意不足で車を鉄柱に気付かず発信してバンパーを凹ませてしまい、自分が凹みました。「最後までやらずじまい」でした。

ここにこんなことを書いても読む方には、まったく関係はありません。それでも書こうとするのは、繰り返しになるけど「総括すると出したくないことも晒すことになるそれも含めて自分の人生。その部分がないと自分が今の形になっていない。考えても仕方がない、受け入れて前に進むのが人生。」という友人の言葉が有難く響いたからです。その友人は自分に対して厳しい人だと思います。

そういう友人のことを思ってもっと前からちゃんと言葉にしておけば、飽きっぽさの裏返しに目新しいものに目移りすることが減っていたかもしれないと思いますが、手遅れです。でももう社会の生活に出ていくことは無くなっていくけど、ちゃんと死に切るためには自分を晒していたほうが良いと思うことであります。