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ト 愛される落語家 時代を変える漫才師

随分前のことなのでどこで聞いたか読んだかは忘れましたが、広い年代の人から愛されている落語家さんと、それまでの芸風の領域を超えるセンスを持つ漫才師さんを取り上げたコメントに触れたことがあります。実話なのか、例え話なのかどちらでもいいです。

ここに身長が2メートル近いノッポさんが居たとします。その人に会った前者の落語家さんは「あんたごっついなぁ、家の2階から出入りせなあかんやろ」と笑いを取るそうです。そして後者の漫才師さんは「あんた、地図に載ってしまうやろ」と言って驚かせるそうです。今はお笑い第七世代とか称するそうで、そのどれがどうなのかも知りませんし、どこが可笑しいのかもわからないことのほうが多いのですが、このご両人の逸話は理解できます。

お笑いの世代などとは無関係に興味深いです。どちらが良いとかではなくお二人の個性に拍手したいです。「家の2階から出入り」というおおらかな目線に優しさと温もりを感じますし。「地図に載ってしまう」という広い目線には先日ほかのマガジンに投稿した「コンバージョン」に似た痛快さを感じます。

ところで最近になってこの「地図に載ってしまう」という逸話は「コンバージョン」という概念を補うことによって、マーケティングの領域でも近い事例があるのではないかと思うようになりました。家の中で音楽を楽しむオーディオ装置が野外に持ち出されただけでなく、ヘッドフォンで聞きながら通学電車に乗ったり街歩きをすると、いつでもどこでも好きな音楽が聴けるというよりも、その風景の中で自分が音楽の主人公になって状況そのものが創造されていくことになりました。これも体験的には「コンバージョン」を産んだのではないでしょうか。

それがいわゆるビジネスモデル上の変革に発展し、ネットで書籍や音楽や映画を入手できるようになったり、さらにそれらを月々の一定支払いで大量なストックから制限なく借りられるようになったり、構造的な「コンバージョン」が進んでいるようです。若者に限らずリタイア後の自分もありがたく感じています。

そのサブスクリプションとかいうシステムが「百貨店がレディースファッションのサブスクを始める」と知ることになった日には、あれあれついていけないなと思ったり。シェアマーケティングみたいな話題を目にすると優秀な方の考えられる「コンバージョン」はいろいろあるんあだなぁとつくづく感心するのであります。

さらに見渡せば、ほかの社会の領域でも似たようなことがありそうです。企業の本社機能を都心から移転してもらって、法人税収を増加しながら生活文化も発展させようと首都圏の周辺都市がやっきになっていたり、はたまた企業側としてもはるか遠くの島に移転して経営効率と従業員の人間らしさを向上させようとする試みが始まったり、これまで考えられなかったことが起こっていることにもすごいなぁと感心します。それを「コンバージョン」と言ってはいけないのでしょうか。

自分のような者には想像できない大きな話ですがそれでも、何かをひとつ棄てることで別のステージに出ていった経験ならば、まったくないわけではありません。お寺の団体活動での思い出がひとつあります。リスクが何割か増えても、よろこびが倍になれば棄てることもあってよしという考えで実行しました。そしてすみっコぐらしの今です。ささやかなパートタイマーの仕事と家族との狭い生活の範囲でしかありませんので「地図に載ってしまうコンバージョン」は、到底無理にしても「家の2階から出入りする」くらいのおおらかな意識は持っていたいものです。

蛇足ながら、note 初回投稿の前に「何を書くかよりも、何故を書くかが重要」というヒントが目に留まり、その何を書くかよりもっと以前の問題として「誰(固有名詞)のことを書くか」は、自分の note では無関係であるべきだろうと決めました。世に知られた人であれ、身近に居られる知人もです。もっとも具体的な書籍を題材にしたいことがあるのでその時は例外です。この芸能人さんについてのことも誰々と固定する必要は無い内容です。