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46 いったい何をしたいのかわからないと口にした時にその上司は・・

第1回目の転職はワクワクでスタートして、凸凹しながらも興味を持たせてもらいながら社内でのジョブローテーションが数回繰り返され、30歳くらいになっていたころ、エネルギッシュな営業課長に仕えました。

興味を持たせてもらっていたはずなのに「いったい何をしたいのかわからない」という気持ちが湧いてきたことがあります。人生におけるエネルギー保存の法則があるという学校の先生の勇気づけもわかっていたはずなのに、そもそも先々のビジョンを持っていないことに気付き、それに不安が湧いたのです。もともと生半可な自信とコンプレックスが混じっている自分なので、そうなってもおかしくなかったのです。

そしてこれを営業課長に話してみました。その方は8歳くらい年上でももう一回りも二回りも大人を感じていました。・・意外な答えが返ってきました。

「お前なぁ。何をしたいかなんて、おれもサラリーマン15年やってるけどさっぱりわからないんだ。お前にわかるはずないだろ。」ということでした。
ものすごく安心できる答えでした。きっと彼ならやりたいことは持っておられたと思いますが、それを聞かせてもらったところで、もしくは私への「こうじゃないか、ああじゃないか」という助言を聞いたところでこちらの不安が解消したかどうか。

いったい何をしたいのかわからないということを常に抱きながら考えながら生きていくこと。そのことそのままが何かをしているということなんだと、言い聞かせられるようになって逆に充実感を持ちました。自分が言えばそうなることをわかっておられたのに違いありません。

それから20年も経て知ることになった歎異抄という書物に「弟子のわからないという悩みに対して、わたしもだ」と応える場面が出てきます。歎異抄を知った時に20年前を思い出しました。ことの重大さは異なりますが、本質的に同じ構造なんだと思いました。

そのあと30代から50代に至っても、何度か似たような問いで迷ったり横道に逸れたりで凸凹と進んだ人生でしたが、振り返ればそのつど上司と仲間たちに軌道修正してもらって毎日を暮らしサラリーマン生活を納得しながら終え、今になって不安の無い状態に落ち着いたことをまさに実感しています。