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親の洗脳の手放し方

早いもので11月になりました

今年は暖かくて ぬんちゃんはまだ半袖短パン姿です
元気なのが何よりです

一時期 私がお花畑スピリチュアル界にハマった頃
そのコミュニティーの中で流行っていた言葉が
「親を捨てろ」でした

ぬんちゃんと2人で暮らしを始めたばかりのカタブツも
公然で「母親を捨てろ」と言われたことがあります

その言葉のおかげで ハッ!っと目が覚めて
そのコミュニティから離れることが出来たので
今ではいい経験をしたと思います

ぬんちゃんは実際 数年前に両親(私の祖父母)と絶縁していますが
普段 親への恨み言なんて一切言わないし
もちろん他人に向かって「親を捨てろ」なんて言いません

私に「親を捨てろ」と言ったのは ぬんちゃんと同世代の人
親を捨てた者同士なのに この違いは何なんだろう?と
ぬんちゃんと話した事をシェアしたいと思います

「親を捨てる」にも 2つあると思っていて
親と絶縁する(or親が亡くなる) = 自分の外のこと
親(の価値観)を頭から消し去る = 自分の中のこと

絶縁はしたけど 頭の中に日常的に親が登場するなら
それはまだ「自分の中から親を捨てられていない」ってこと

それを「親の洗脳が解けていない」と言う人もいるけど
実は自分が「親の洗脳を利用し続けてる」んだよね

私が不幸なのは 私の人生が上手くいかないのは
「全部親のせいだ!」って言い続けるためには
親を手放すわけにはいかないから

親と離れて自活して暮らしていると
自分は親を捨てた・親離れしたと思っちゃうけど
内面では親への恨み辛みを握りしめて「親に執着・依存」してる

それで
内面で「親への執着や依存が手放せない」と
外側の世界に「親以外の依存相手」を探してしまう
親の代わりに指示して導いてくれる人を探すの

依存相手は 医者でもいいし カウンセラーでもいいし
異性でも 占い師でも 教祖でも スピリチュアリストでもいいし
インフルエンサーでも 自己啓発セミナーでもいいし
メン○リストでも ひろ○きさんでもいい

親の代わりに これが正しいです これは間違ってます
だから ああしなさい こうしなさいと
指示してくれる人を無意識に求めている

「外の声ばかり聞こうとして 自分の心の声は聞こうとしない」

それぞれ依存する相手の属性が違うだけで
外に答えを求めてるって言う意味では どれも同じこと

依存する属性が違う人同士が
「あいつは○○信者」と言い合ってるだけで
自分自身が 誰かの何かの信者だってことに気付いていない

誰かの言葉やデータを「信じる者」と書いて信者だから(笑)

例えば 有名大学にこだわる人は学歴信者だし
ム○ラーは○印○品の信者だし 最新家電信者とか
ビタミンC信者とか 柔軟剤の香り信者とか(笑)

信者って言葉に変換した途端 嫌悪感がわくけど
「自分が正しいと信じてる誰かや何か」の信者なのよね

よく「○○に騙された!」って言う人いるけど
いやいや あなたが信じただけ(笑)

「信じ込まされた」って言いがちなんだけど
ただシンプルに「自分が信じたかった」のよね

この商品(を作った人)を信じてみよう
この人の言葉を信じてみようって
その人に「期待して執着して依存した」だけのこと

結局は依存先を「親とは別の他人に変えただけ」で
相変わらず外の声を聞いてるから 自分が苦しいままなんだよね

そういう勘違いしてる人が
他人に向かって「親を捨てろ」っていうの

会社員のカタブツちゃんに怒られそうだけど

会社員でよくあるのは「上司・先輩・同僚」たちへの依存
「上司が言うから 先輩が言うから 成績がいい同僚が言うから」
「皆がそういうから」自分もそうする

学校を卒業してすぐ企業に就職して
会社というシステムの中でずっと生きてると気付かないけどね

カタブツちゃんは転職経験があるから分かると思うけど
会社が変わると価値観が全く違うでしょ

仕事の評価の仕方や同僚との付き合い方も違うし
それこそランチで選ぶ店や 飲み会の予算まで全く違う(笑)

でも長く一つの会社にしか勤めたことがないと
自分の会社での認識が 社会の共通認識だと勘違いしちゃう

自分がすごく小さな世界(観)で生きていると気づけない
別の世界を経験していない=知らないこと

「知らない=その人の世界(人生)には存在しない」ことだから
「嘘だ」「ありえない」「洗脳されてる」とか言って
他人の世界を批判するわけ 本当は自分が知らないだけなのに

だから批判してくる人がいたら
「この人は無知なんだな」って思えばいい

ずっと同じ会社に勤めることが悪いと言ってるんじゃなくて
外の別の世界を知らないことが問題なのね

だから趣味でもいい 町内会でもいい ママ友 パパ友でもいい
自分と違う世界を生きている 価値観が全く違う人と関わるといい

一番簡単なのは 「本を読むこと」かな
仕事に役立つノウハウ本じゃないよ(笑)

いろんな人の考え方・生き方を知るには
いろんな本を読むのがおすすめ

Kindle unlimitedなんて 読み放題月額980円だよ
読めば読むほどお得だし いろんな本にチャレンジできる

私も同世代の人たちにいっぱい勧めたけど 誰も利用しない(笑)
もう自分の考え方に固執しちゃってる

そういう人たちの話は 昭和のブラウン管テレビで
「頑固親父のドラマ」を見てる感じで楽しめばいい

昭和世代の親の多くが「古い思考のまま」で アップデートされてない

私の親はカーボン紙世代で
私は感熱紙・コピー機世代かな
今はスマホ世代で 指一本でコピペできる

「あれ?もう今の時代はカーボン紙も感熱紙もコピー機も必要ない!」
って気づいて 親の生き方や考え方=親の洗脳 を手放せばいい

一つだけ付け加えると
そんな親の生き方や考え方を否定しないでほしい

親世代はインターネットなんてない
パソコンも携帯もスマホもない時代
大抵は親から子へ口承で伝えてきた時代

親がそういう生き方・考え方になったのは仕方ないって諦めてほしい
親が変わってくれることを期待しないでほしい

例えば 実家も親戚もサラリーマンばかりの中で育ったとしたら
自分で自営業を始めるのは怖いと思うのね

会社員なら年収の想像もつくし 福利厚生もあるし 年間休日数もわかる
未来の安心材料は すでに目に見える形であるけど

自営業を始めるには安心材料がない
それは先の見えない道を行くのと同じこと

親や多くの人が通った道を歩くのは ひとまず安心だよね
その道の先が「だいたいこういう風になる」ってのがわかるから

逆に 誰も通ったことがない全く知らない道を一人で歩くとしたら?
先の見えない道を一人で行くのは 「不安で恐怖」だよね

だから無意識に「一般的に正しいといわれる道」を選択しちゃう
その方が安心だもの

親もそうやって一般的に正しいと言われた道を生きてきた
親はその道を歩いてきて その道の歩き方しか知らない

だから親を諦めて欲しい

「親に期待するのを諦めて」

親だって 知らない道は教えられないし
知らない世界のことは話せない

だから 親の世界観から抜け出して
自分の世界観を一から作り直せばいい

「期待は執着」

自分の思い通りになってほしいっていう執着

こんな親でいてほしかった
今からでもこんな親になってほしい
もっと褒めてほしい
もっと分かってほしい
そういう期待・執着を全部捨てる

そして自分の人生の責任を自分で負うと覚悟すること

いつまでも親の洗脳を手放せない理由は 親のせいじゃない

  「自分がバージョンアップ出来ていないから」

パソコンもスマホも新しくしたら 古いのはもう使わないでしょ

自分自身も新調すればいい
新しい生き方・考え方を学んで 古い自分は使わないと決める

自分をバージョンアップして新しい生き方を始めたら
いつの間にか古い親の価値観は手放せるようになっていく

手放すぞ!って力まなくても勝手に手放せる

依存関係が悪いんじゃない
そもそも依存関係がないと 社会なんて成り立たないから

依存商法なんて日常の中にあるもの
毎日コンビニに行く人はコンビニ依存だし
一日中テレビついているならテレビ依存だし
洗濯の時に「私は柔軟剤に依存してる」とか思ってないし
ビタミンC依存 プロテイン依存・・・数え切れない(笑)

これがないとダメっていうものがあるなら立派な依存症
本人はそれが依存だと思っていないだけ

依存の始まりは生まれた瞬間 赤ちゃんの時から
小さい子供のうちは自分では何も出来ない
親に依存しないと生きていけないから

それに 家庭でも学校教育でもベースが「不安と恐怖」でしょ

○○しないと怒られる
○○しないと嫌われる
○○しないと いい学校へ行けない
いい学校へ行かないと 大手に就職できない
大手に就職できないと給料が低い・・・

会社でも 予算を作らないと
同僚とうまくやらないと
上司に気に入られないと・・・

「○○しないとダメになる」という
不安と恐怖が人生のベースになっちゃってる

○○しないと ここにはいられない
「私がここにいる価値がなくなる」と思い込んでる

それの根っこが「親に愛されないと生きられない」なんだよね

でも もう赤ちゃんでも子供でもない
大人なんだから親のいうことなんて聞かなくても生きられる

親がいなくても生きられるってことは
親代わりの人も本当は要らないんだよね

「不安と恐怖=生きていけないという思い込み」
思い込みなんだからやめればいい

「親に依存しないと生きていけない」 =「幻想」
この幻想を手放せるといろんな執着・依存が手放せる

思考がすっきり片付くと 人への執着はもちろんだけど
物を所有する執着もなくなっていくよ

無駄な買い物はしなくなるし 家はすっきり片付くし
冷蔵庫が食品でパンパンってこともなくなる
いろんな物事がシンプルになるんだよね

断捨離(©やましたひでこ)って
物を捨てることだと勘違いしてる人が多いけど

断捨離のやましたひでこさんが教えてらっしゃるのは
実は物を捨てることじゃなくて

自分の内側にある不要な思考を捨てて手放していくと
自然と物も手放せて 家もすっきり片付きますよって
そういうことだと思うのね

結局 「変えるのは自分の内側」
自分の内側が変わると 外側が勝手に変わっていく

  そういえばカタブツが一人暮らしをしていた頃は
  家中が物で溢れかえっていました

  服も靴も化粧品も今の何倍あったんだろうと
  思い返すとゾッとします(汗)

親への期待(執着)を完全に手放せたとき
本当の意味で「親を捨てられる」し

親の洗脳を手放した新しい自分で
「親を捨てない」こともできる

もし親が不幸だとしたら それは子供のせいじゃない
「親の内側が整ってないから」

親の内側を変えるのは 親自身にしか出来ません

自分が変わる気のない人は「自分の不幸を他者のせいにして」
ずっと不幸なままです

不幸な人と一緒にいると 自分も不幸になるので
不幸な親なんか捨てて 自分だけでも幸せになってください

そういう意味で「親なんか捨てていい」のです

カタブツも一ヶ月前にやっと父親への執着が手放せました
ぬんちゃんの グサッ!と刺さる一言がきっかけ

カタブツが軽蔑し続けてきた父親に「実は愛されていた証拠」を
ぬんちゃんに突きつけられたのです

「そんなの認めたくない・・・私は絶対愛されてなかった・・・」と
最初は暴言を吐いて抵抗したのですが 愛されてたと認めるしかなかった

そして愛されてた事実を受け入れたときに やっと自分を解放できました
いつも心のどこかで 頭のどこかで気になり続けていた父親が
最近は登場しなくなっています(笑)

勝手に手放せるって本当です

結局は全て自分の思い込みの世界
この世界は自分が投影された世界なんだと 改めて思い知った日でした

最後まで読んでいただきありがとうございました

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