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風土と地金魚

 本州でも梅雨入りしたところとそうでないところと曖昧なまま、6月に入ってもういちど5月をやり直したかのような陽気がつづく。先月は連休中とても天気が悪く、嵐のような、冬の名残りのような風強い日が多かった。思えば今年の冬は平野部に記録的な豪雪が降り、他方当地では例年4月の入学式の頃といった印象の桜が3月末には開花してしまうなど、季節の進み方が狂ってるような、そんな片鱗を感じざるを得なかった。
 5月の連休は外仕事を生業にする人たちにとって始動の時期で、田植えや畑仕事が本格化。金魚や錦鯉を飼う養鯉農家の人たちにとっては、この時期が越冬した魚たちを屋外の泥池に放つ頃で、いよいよシーズンに入ったという気がする。水の張った田んぼに苗が植わるといつも思い出すのだが、「ちゃんと餌ことくれるのは連休が明けてからだ」ずっと付き合いのあった床屋さんから外で魚を飼い始めた頃そう言われた。
 せっかちな自分からすると、もういいだろうという陽気が5月の以前に何度もあるものの、今年はその教えをしみじみ思い出す荒天だった。

 裏日本特有の降雪量の多い冬を経て、中山間地では完全に雪解けするのが連休があけてから、先日訪れた湯之谷から尾瀬へと至るには今月に入ってようやく奥只見湖を抜ける道が開く。

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 地域特有の風土は、そこで育つ植物や動物、すべてに関わって来る。こと金魚において的を絞ってみると、もともとこの地域の山間部では食用の鯉の飼育が盛んで、その後色鯉、すなわち錦鯉の養殖がはじまり、鯉と一緒に育つ玉サバ/サバ尾という金魚の品種が生まれている。種に関する議論を以前Twitterでつらつら書いたことがあるが、簡単に金魚の品種について触れると、金魚とは生物学的にはフナの仲間。その出自は揚子江支流といわれ、「ヂイ」と呼ばれる系統の種だと遺伝子解析から特定されている。中国で誕生した金魚が海を渡って日本へやって来るのは数百年前からとされるが、その後お祭りの縁日などで一般に観られる観賞魚となり、後に三大産地(大和郡山、弥富、江戸川)とそれを結ぶ流通網ができる。地方での金魚、いわゆる「地金魚」においては、諸説あるものの、江戸時代の大名が寵愛した逸話の残る種や、天然記念物となっている出雲ナンキンや土佐錦など近代以前から親しまれているものもある一方、親しまれ方においてはそれぞれ歴史を遡るもののようやく最近になって全国的な知名度を獲得していった品種もある。玉サバ/サバ尾は後者の例と言えるだろう。


 さて玉サバ/サバ尾の名前の由来だが、「サバ尾」はもともと一枚舵の尾っぽを指す。琉金やオランダ獅子頭、出目金など、代表的な金魚の品種には尾が二又に分かれるものが多く、和金などを除いて金魚はそのひらひらと泳ぐ様が魅力のひとつだ。ただし、その代償として遊泳力が乏しくなってしまう。それでは雪国において錦鯉と一緒に育つには、餌を食い負けしまうし、遊泳力の弱い魚は冬場の水温低下の時期に転覆の危険性が増すとも考えられている。上から見た際、体型的には和金を一回り太らせたような丸みを帯びた姿がデフォルメされた愛玩性を残すも、その泳ぎにおいては鯉と引けを取らない(とまでは言えないが一緒に育つことができる)。

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 それに対して、体型がどんどん丸くなっていったのが「玉サバ」だ。そのなりから「オタマ」等いろいろな愛称で呼ばれたそうだが、「玉サバ」が新潟の地金魚としてもっとも有名になった。丸い体型をしているが、琉金などと異なり一枚尾を継承していて、きびきびと大きな池をよく泳ぐ。体が大型化するのも特徴で、錦鯉の成魚とならんでも引けを取らない体格のものもいる。越冬の際、丸い体型は不利になるものの近年その傾向はますます顕著になり、背中が隆起し横から見ても完全に円を描くようなフォルムが好まれるようになった。まん丸とした体型に人の業を感じるものの、雪国の冬を越すことができ、春にはかつては棚田だった泥池で(今は別々に飼育されることも多いが)錦鯉などと泳ぐことは、この魚のアイデンティティとなっている。

 思うに人がその種の交配に関わるようになった家畜や愛玩動物において、人為性だけを取り沙汰する手付きに足りないのは、互いに交り合う人と異種との間に重ねられてきた営みと、就中その風土への視座ではないか。例えば玉サバの体型のもとになった琉金の生産で有名な長野県の飯田は、同じように寒暖差のある中山間地だ。しかし、太平洋側特有の雪の少なさと販路になる名古屋等、大きな都市圏への距離が近い立地などから、恵まれた流通路に伴う越冬の必要性など、その違いについてあれこれ想像をめぐらすことができる。

 この営みにパートナーシップや愛着を必要以上に持ち込んで人間同士のように勘違いしたり、あるいは逆に直接遺伝情報へ介入するようにして生きものを確定記述の束(ゲノム)に変えてしまう関わり方もあるだろう。だが、私にはそれが魅力的には映らない。何となれば、それがどういうところでどのように行われているのか、実感を持った景色が立ち上がってこないから。そこには風土がない。



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