障害がある方と旅をしていると、さまざまな場面で「社会の無理解」に出会います。
無理解とは、
障害がある人=何もできない、弱者、常に助けが必要。
と言うような、誤解であったり、先入観であったり、そんなことです。
ハワイやカナダやスイスや、多くの外国では
当たり前のことが、日本ではどうしても
色眼鏡で見られてしまうことは多いのです。
良くも悪くも「過剰反応」という形での対応を受けます。
そんな場面ではお客様と苦笑いしながら、
やり過ごすことにしています。
いちいち反応していたら疲れてしまうし、
対応して下さっている方々に「悪気などかけらもない」からです。
悪気のない、一生懸命な方々にクレームをつけたり説教をしたりするのは、ヤボというもの。
ところが、もっと困った状況が「無関心」。
「社会の無関心」
これはやっかいです。
無理解は、時間をかけてお互いが判り合えるようにコミュニケーションを密にすることで、
状況が替わって来ることは、これまでも経験して来ました。
「色々あるけど、勇気を出して旅に出ましょうよ。社会を変えて行くには、障害がある方ご本人がどんどん旅に飛び出して、楽しんでいる姿を
みて頂くのがいちばんなのですから。」
そんな風にお客様の背中を押して、
かなりチャレンジな旅にもご一緒している。
旅の場面に触れて貰うことで、
百聞は一見に如かず、と理解が深まることも多いのです。
ところが、
無関心がなぜ、やっかいかと言うと、
そもそも、そのことに意識がないからです。
これは障害者の外出に関する問題だけではなく、
少子化をどうするのか
日本の自殺率がどうしてこんなに高いのか
うつや引きこもりを減らす、なくすにはどうするのか
世の中に存在するさまざまな課題を
人ごとだと思ってしまう社会そのものです。
障害がある人が外出しやすい環境作りを目指しても、
日本という「ゆとりのない」社会のなかで
問題が埋もれてしまうのが、とても恐いのです。
私は日本という共同体で暮らしていくなかで、
「無関心」は最大の罪だと思うのです。
ハンドルの遊びが許されない社会で
閉塞感がいっぱいだからこそ、
少しだけ深呼吸して、
周りの人のようすをみて、
少し、おせっかいなくらいの社会に戻して行きませんか。
昔、日本はおせっかいな人がたくさんいました。
昔の鈍行列車は窓が開きました。
「少し、窓開けてもいいですか?」
そんな会話が生まれました。
鈍行列車に向かい合わせで座ると、
向かいのおばちゃんは必ずみかんをくれました。
民宿に泊まると、なぜか隣のおじさんから
焼酎のボトルが回って来ました。
知らない人に声をかけられても返事しちゃダメ。
子供にはそう教えざるを得ない世の中ですが、
せめて大人どおし、
楽しく、笑顔で行きましょう。
それが社会的無関心から、
日本が飛び出し、飛躍するための第一歩です。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?