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間違っても開き直って偉そうに正当化しちゃいけない。
Twitterのタイムラインに流れてきた呟き。
学校は生徒の外見に介入すべきではない。もし、介入しなければ多くの生徒の学習権が保障できないのなら、それしか選べない自分たちの無力に打ちひしがれ、悔し涙に暮れながら介入すべきだ。間違っても開き直って偉そうに正当化しちゃいけない。
学校の校則については賛否両論あるでしょう。テレビなどでもセンセーショナルに報道されて認知が広がりました。教育現場がこれまではブラックボックスだったことを思えば一歩前進。
一般論として、教育困難校と言われている学校に通う生徒の服装は乱れています。
私が通っていた高校は標準服を着ていると先輩にボコボコにされました。ぼんたん短ラン長ラン学ランが「標準服」でした。ボコボコにされたくないので、裏に昇り竜が刺繍されている学ランを来ていました。ぼんたんも死語ですけど、カバンはペチャンコ、髪は茶髪か赤か。
私はアイパーかけてましたけど(アイパーも死語)、パーマは標準の髪型でした。喫煙率はほぼ100%。男子便所は休み時間は煙でもうもう。
学校そばの酒屋は制服やジャージで酒を買いに行っても普通に売ってくれました。今だったら教育困難校扱いでしょう。
でもね、人を見かけで判断しちゃいけない。同級生は本当にいいやつばかりでした。人の血が流れていましたよ。人間臭いやつばかり。
今では経営者や銀行の支店長や百貨店のマネージャーやら、坊さんもいるなあ。本当にみんな立派な大人になりました。学校で学ぶことって勉強だけじゃないんです。
人として本当に大切なことは何か、人の心の痛みとは何か、弱い奴を助ける気持ちなどなど。
逆説的な意見ですが校則なんか作るから「反発する」のです。ダメと言われたらやりたくなる。若いのだから当たり前です。
私は高校生が茶髪でもピアスでも自己表現なのだから認めるべきと言う考えですが、それが日本に置いて絶対正しいとも思っていません。教育の現場で悪戦苦闘されている先生方からしたら、「じゃあ、お前ここへ来てやってみろ」でしょう。すみません、謝っておきます。
校則って必要でしょうか。
どうしても校則が必要ならば生徒会に決めさせたら良いのではありませんか。生徒が自分たちで議論し反対意見を闘わせて、落とし所を見つける。
生徒は大人が考えるより、ずっとしっかりしています。
少なくともAPU(立命館アジア太平洋大学)学長の出口さんがおっしゃっている、
「生徒に合理的に説明ができない校則は全てパワハラである」
に対して論破できる先生はいらっしゃるのでしょうか。自己表現を認めない教育って、どう考えてもおかしいです。冒頭のTwitterの呟きを再掲します。
学校は生徒の外見に介入すべきではない。もし、介入しなければ多くの生徒の学習権が保障できないのなら、それしか選べない自分たちの無力に打ちひしがれ、悔し涙に暮れながら介入すべきだ。間違っても開き直って偉そうに正当化しちゃいけない。
最後が重要です。
間違っても開き直って偉そうに正当化しちゃいけない。
私は生徒に対して、「おまえら」みたいに言う先生は嫌いです。日大アメフト部のあの監督を思い出して吐き気がします。人としての尊厳がない。このように言われて育った子供達は大人になったら年下の人を必ず見下すでしょう。自分がされたように、又同じことをします。
見かけは優等生でも心の中がサイコパスのような子供も大勢います。先生の覚えめでたい生徒で陰湿ないじめをしている生徒、少なくありません。人を見かけで判断しては、いけません。
なぜ、学校のことを書いたのか。学校の延長線にあるのが会社であり社会だからです。繋がっているのです。
高萩徳宗
2021.3.14.
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