猫娘の捷克(チェコ)鍵盤音楽探訪記 第2回
〜チェコのピアノ音楽の作曲家たち〜 文:河合珠江
第2回 レオポルト・アントニーン・コジェルフLeopold Antonín Koželuch(1747-1818)
1. コジェルフの生涯
レオポルト・アントニーン・コジェルフLeopold Antonín Koželuchは1747年6月26日にチェコ・ムニェルニーク近郊ヴェルヴァリで生まれました。
プラハで従兄であるヤン・アントニーン・コジェルフ Jan Antonín Koželuch (1738-1814) に学び(もともとレオポルトも彼と同じ名前でしたが区別するために改名したのでした)、フランティシェク・クサヴァー・ドゥシェク František Xaver Dušek (1731-1799)のピアノと作曲の学校に通いました。ヴィターセク(注)の兄弟子ということになりますね。
(注)第1回で取り上げたヤン・アウグスト・ヴィターセク。
*ヴァルヴェリにあるコジェルフの生家。
1778年にヴィーンに出て、フリーランスのピアニスト、教師、作曲家として活動を始めます。モーツァルトWolfgang Amadeus Mozart (1756-1791) がザルツブルクからヴィーンに移住するのが1781年。その頃にはすでに、コジェルフはヴィーンで名声を得ていました。人気も収入も、モーツァルトを凌いでいました。1785年には弟と出版社を設立し、経営者にもなりました。
順調に作曲家としてのキャリアを積んだコジェルフは、1792年に新皇帝レオポルト二世により宮廷作曲家に任命され、1818年5月7日にヴィーンで没するまで、宮廷の仕事に従事しました。
1780年頃から、モーツァルトのように、宮廷に属さずコンサートやレッスンで生計を立てるフリーランスが増えましたが、コジェルフはまさにその先駆けでした。ヴィーンに移住したのは31歳ですから、けっして若くはありませんが、プラハで身に付けた確かな実力で、ヴィーンで才能が開花したのでしょう。
2. 《3つのピアノ・ソナタ》作品1 より第1番、第2番(1780年刊行)
ピアノ作品は、コジェルフの作品全体の中でも主要なジャンルであり、ピアノ・ソナタは、プラハ時代の7曲を含めて50曲に及びます。それらはヴィーンのみならず、パリやロンドンでも出版され、広く知られた存在であったことがうかがえます。
ヘ長調、変ホ長調、ニ長調の3曲からなる《3つのピアノ・ソナタ》作品1は、1780年にヴィーンのアルタリーア社から出版されました。
・作品1-1 ヘ長調、全3楽章
爽やかな春風を思わせる軽やかな筆致が特徴です。技巧的な派手さはありませんが、音楽の流れが自然で、とても耳に心地よい。第2楽章(Cantabile)では、弦楽器風の伴奏にのせて装飾的な旋律が紡がれていきます。その一貫した上品さが、コジェルフがヴィーンの上流社会に受け入れられた要因ではないでしょうか。
・作品1-2 変ホ長調、全3楽章
第1楽章(Allegro)は、速い楽章でありながら、メヌエットを思わせる舞踏感があります。必聴なのは第2楽章(Poco adagio)。とくに後半のハーモニーと旋律の動きには胸に迫るものがあります。そしてそれがけっしてわざとらしくないのです。
・作品1-3 ニ長調、全3楽章 (coming soon...)
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