猫娘の捷克(チェコ)鍵盤音楽探訪記 第1回

〜チェコのピアノ音楽の作曲家たち〜             文:河合珠江

第1回 ヤン・アウグスト・ヴィターセク Jan August Vitásek  (1770 - 1839)

図1

1. ヴィターセクの生涯

ヤン・アウグスト・ヴィターセク Jan August Vitásek は1770年2月22日にチェコ・ムニェルニーク近郊ホジーンで生まれました。

ホジーンのオルガニスト兼聖歌隊指揮者であった父から音楽の手ほどきを受けたヴィターセクは、その後プラハでフランティシェク・クサヴァー・ドゥシェク František Xaver Dušek (1731-1799) とヤン・アントニーン・コジェルフ Jan Antonín Koželuch (1738-1814) に学び、ロプコヴィツ家やノスティツ家に仕えました。

図2

*少し見えにくいですが緑印のプラハのすぐ上にあるのがムニェルニークです。

ドゥシェク(私の博士論文のテーマであるJ. L. ドゥシークではありません)は、妻と共にモーツァルトと親交があったことで有名で、彼の所有した別荘「ベルトラムカ」は、モーツァルトがプラハ滞在中に過ごした場所として、今も人気の観光スポットとなっています。ヴィターセクは師の友人であるモーツァルトをとても尊敬していたそうです。

図3

*プラハ市内にある現在のベルトラムカ。現在は博物館になっています。


J. A. コジェルフは、有名なレオポルトの従兄であり(レオポルトについては別の機会に紹介します)、ヴィーンでグルックと、同じくボヘミア人の作曲家ガスマンに師事した経歴を持ちます。プラハの聖ヴィート大聖堂で聖歌隊指揮者を、ストラホフ修道院でオルガニストを務めました。コジェルフのオペラは、チェコ人作曲家によって書かれてプラハで上演された最初のものとなりました。

図4

*J. A. コジェルフ Jan Antonin Kozeluh (1738 - 1814)の肖像

ヴィターセクは、1814年に師コジェルフの後を継いで聖ヴィート大聖堂の聖歌隊指揮者に就任します。これは当時のボヘミア音楽界では大変な名誉と言われていました。この職のために、ヴィターセクはヴィーンの聖シュテファン大聖堂の聖歌隊指揮者の職を断ったほどでした。1826年にボヘミア教会音楽普及協会の創立者のひとりになると、協会附属のオルガン学校の初代校長を、亡くなるまで務めました(1830-1839)。1839年12月7日プラハ没。ボヘミア音楽の普及と発展のために奔走した後半生であったといえるでしょう。その愛国精神もまた、師であるJ. A. コジェルフから受け継いだように見受けられます。

彼の残した作品は、職業上教会音楽が多いのですが、世俗曲も多く、モーツァルトの作品演奏を得意としていたということもあり、ピアノ曲も書きました。また、彼の歌曲は、チェコ語の歌詞に曲をつけた19世紀最初のものとなりました。しかしどれも、残念ながら現在演奏されることは滅多にありません。Youtubeで、ミサ・ソレムニス(1806年作曲)よりグローリアの音源を見つけましたので紹介しておきます。

モーツァルトを思わせる壮麗さですね。長調のなかにところどころ短調が顔を出し、その色の翳りがとても自然だと思います。

18世紀から19世紀にかけて、外国に進出するボヘミア人音楽家が多かったなかで、ヴィターセクはプラハに留まり職を全うしました。彼は、その後スメタナへと至るチェコ音楽界における民族主義の再興への道を切り拓いたキーパーソンなのです。

2. 《3つのピアノ曲》(1810頃刊)

《3つのピアノ曲 Tři Přednesové Skladby》は1810年頃にヴィーンで出版されました。
・第1曲ロンド、ト長調
なめらかな旋律線で始まり、8小節目まではっきりト長調に終止しないことで、たゆたうような雰囲気を醸しています。対話を楽しむようなフレーズの作り方はモーツァルトのよう。中間部は一転、ト短調でポリフォニックに展開します。
・第2曲アンダンテ、行進曲のテンポで、ヘ長調
出だしは、バスがギクシャクとした5度跳躍で動き、いかにも行進曲風ですが、どこか滑稽でかわいらしい曲。短調の部分でも、バスはティンパニを模した音型を奏し、行進曲然とした曲想は保たれます。テクニック面では、手の交差や、左手での主題の再現などの工夫が見られます。
・第3曲ポロネーズ、ハ長調
ポーランド発祥の舞踏のひとつであるポロネーズのリズムが全体を支配しています。装飾や重音が多く華やかで、遊び心が感じられます。

3曲を通して、前時代的な作風で、おそらく愛好家向けの作品であると思われますが、案外弾きづらさを感じさせる場面もあります。リズムは素朴さを感じさせ、小品ながら愛すべき作品だと思います。


執筆者紹介

河合珠江(かわい たまえ)

大阪府立夕陽丘高校音楽科、京都市立芸術大学音楽学部卒業。同大学院修士課程を最優秀で修了。大学院賞受賞。その後、同博士課程に進学し、チェコの作曲家であるJ. L. ドゥシークについての研究を行い、同大学で初めて器楽領域での博士号を取得した。博士論文は『ヴィルトゥオーソの先駆としてのヤン・ラディスラフ・ドゥシーク―ピアノ・ソナタの技巧性』。
2010年3月、ドゥシークの故郷であるチャースラフにて行われたドゥシーク生誕250年記念シンポジウムおよびマスタークラス(フォルテピアノ)に参加した。2012年6月、ヤナーチェクの老いらくの恋を題材とした朗読とピアノによる音楽劇「君を待つ ―カミラとヤナーチェク―」(共演:広瀬彩氏、須田真魚氏)や、同年12月、ドゥシーク、スメタナ、スラヴィツキーといったオール・チェコ・プログラムによるリサイタルを、いずれも京都芸術センターにおいて成功させた。2014年6月には、初めて脚本を執筆した音楽劇「はつ恋 ―ヨゼフィーナとドヴォジャーク ペトロフが奏でる愛の詩」(共著:林信蔵氏、共演:大塚真弓氏)を名優・栗塚旭氏の朗読とともに上演した。
近現代の作品にも積極的に取り組み、2015年10月には、静岡文化芸術大学にて、レクチャーコンサート「音と沈黙のはざまで―サティがきこえる風景―」においてリサイタルを行い、得意とするサティや、早坂文雄、武満徹、高橋悠冶らの作品を演奏、2016年8月には、京都市立芸術大学にて、レクチャーコンサート「松平頼則の音楽」においてオール・松平・プログラムで出演し、それぞれ好評をえた。2018年は「松平頼則・ドビュッシー、エチュード全曲演奏会シリーズ」(全3回)を実施した。2019年は5月にエチュード全曲を含むオール・ドビュッシー・プログラムによるリサイタル「音の万華鏡」、10月にドビュッシー、ヤナーチェク、八村義夫等による「幻想の瞬間(とき)」を開催した。

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