そこはかとなく書きつくる

半年ちょっとくらい前の私のfacebookの投稿や、noteの投稿の文章をみて、過去の自分にちょっと嫉妬した。

特にこれとか。

https://note.com/belltreelala/n/nb2a6c3a85029

あの頃は、まだ知らぬ世界にちょっとビクビクしていて、緊張していて、恥ずかしくて、ざりがにが殻の中から外をうかがっているような、そんな感じだった。ような気がする。

文に感情が露骨に現れていない。やわらかな布をかけているみたい、だと感じた。だから、ストレートじゃないし、迷いがある。そういえば一文一文すごく迷いながら打っていたな、と思い出す。たった3行の連絡メールを送るのさえも、30分以上かけて書いていた。言葉というものの刃にものすごく恐れ、言葉によって他者にうつる自分像におびえていた。

自分も変わったなあ、と。

昔に比べて成長したと勝手に思っていたけれど、丁寧さや慎重さ、謙虚さ、とか、そういう、優しく、柔らかいもの(?)で物事を扱う、ということができなくなってきているかもしれない。というか、それを感じさせてきた過去の自分の文章に嫉妬した。

今、こんなんnoteに書いて投稿するのもそうだけど。感情に任せて心からダラダラと出る言葉を指を伝わせて文字にしている。きっと私はこれを書きおえたら躊躇なく公開するのだろう。よくいえば、たぶん、うららはうららでいいと思えてきている、自分の思いや考えを発することを恐れなくなっている、人の評価を気にしなくなってきている、自信がついてきている。のだけれど、なんだかなあ、下品だなあ。(笑)

まあ、でも、そもそもこのnote自体、他者に読んでもらうことでなく、自分の思いを残すことを考えて書いている。からそれでいいのか。昔は他者の目に触れるのが怖かったから、全部人に読んでもらうこと前提で綴っていたから、ひとつひとつの言葉を丁寧に盛り付けお盆に載せ丁寧に運んでいた。

あと、昔と比べると、今は、誰かがこれを読んでも私を嫌いにならないという安心感はでかいかも。だからワーワーと書ける。

ん?今、上の文書きながら、ほんとうにそうだろうか?という疑問が湧いてきた。つまり、本当に嫌われないと思っているから安心しているのだろうか。私は、今の今まで自分のことを、すべての人から好かれたい(すべての人から嫌われたくない)と思ってしまう人である、と定義していたけれど、最近そうでなくなってきているかも、とふと思った。べつに、全員から好かれる必要ないや、という諦め?ができるようになってきたかも。これはちょっと嬉しい。

うむ。

なにがいいのかわるいのかーー。そんなん考える必要なんてないってわかってるけどさ。

過去の自分も今の自分も認めてあげよ。そんでお互いなんかいい感じになればいいな。(笑)

過去の自分をみて、今の自分、もうちょっと昔のように丁寧になりたいと思ったよ、ってことを露骨で不格好なままの今の言葉で残しておく。


最近、なんで過去を否定して、未来に期待しなくちゃいけないのかな、なんで成長し続けなくちゃいけないのかな(成長していると自分で思い込むこと)って考える。というか、なんでそれが当たり前のような感覚としてあるのだろうな。これは私(うらら)に対しての疑問。「昔こんなんだったからこうならないように今を生きる」とか、「昔はこう考えていたけれどこんな体験をして今はこう考えることができるようになりました」とか。

過去の自分も、その時の「今」では割と必死に生きていて。その「今」の必然で生きていて。

どんどん経験することは増えるし、そのたびにいろいろ考えるから、過去の自分否定したくなっちゃうし、いまだにめちゃくちゃしてる、というかしてしかいないんだけどね。

でも、過去の自分も、頑張ってるのよね。というか、今も、すぐに過去になるのよね。


「世界五分前仮説」結構気に入っている。世界は5分前に始まったのかもしれない、記憶も何もかもすべて5分前につくられた、過去というものがあるかのように5分前につくられた。おもろい。

以下、最近好きな本『子どもという哲学者』という本の一節を引用する。

「確実にあるのはいまだけ、現在だけなのだ。ほかに行く場所なんかなかったことに、やっと気がつく。未来も過去も、頭のなかにあるだけだった。ぼくは、いま、ここにいる。ずっといたのに、気がつかなかったのだ。

周囲の世界が、にわかに現実を帯びてくる。音も色も生き生きして、ものの輪郭がはっきりし、感覚も生き返る。その場にいる人たちもただの影法師ではなく、ひとりひとりの顔が見える。こういうタイプの人間、ではなくて、そこにいるその人になる。目が覚めたら、周囲ははるかに豊かでおもしろい場所だった。なぜなら、ステレオタイプというものがないからだ。いまのこの一瞬は、かけがえがない。どの跳躍も、新たな跳躍なのだ。」

投稿しようとして、やっぱりこうして自分の内面をさらすことに対してちょっとの恐怖心があることに気づく。そんな感覚を覚える自分にちょいと安心する。

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