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【引退選手ラストメッセージ】植松晃都選手「学校よりも何よりも教わるものが多かった」

2019/2020シーズン、3選手が現役引退を発表した。大きな決断をした3選手からのラストメッセージを掲載。今回は、これまでの人生のほとんどをクラブと共に歩んできた植松晃都選手のラストメッセージ。

ーまずは現役生活、お疲れ様でした。全日本選手権が急遽中止となってしまい、めまぐるしく色々なことを思う時間だったと思います。今の率直な気持ちはいかがですか?

「最後の思い出」じゃないですが、選手権でみんなと戦いたかったなという気持ちが一番にあります。みんなの安全の方が大事なので中止になってしまったのは仕方がないかなと。ただ、スッキリ引退できないってわけでもないんですが、でもやっぱりみんなと戦いたかったな。クラブから引退のリリースがあって、自分でもSNSで少し気持ちを伝えさせてもらって、思った以上に皆さんからの反響があって、送り出してくれているんだなと感じられて嬉しい気持ちもありました。でも次の日にはもう若手が自主トレしている姿とかを知って、僕の引退もあったけど、時は流れていくんだなって正直寂しい気持ちもありましたね。

ー人生のほとんどを一緒に過ごしてきた「フットサル」から引退をするという大きな決断をされました。

もっとやりたいって気持ちもあったのは正直なところなんですが、昨シーズンから自分の思ったプレーができなくなっていて、もっと自分は出来るはずなのになっていうモヤモヤがあって、悩みつつあるときに足を痛めてしまったんですね。もともとプレーがうまくいっていないのに、怪我のせいにしている自分が情けなくて許せなくて。こんな状態でフットサルやってて良いのかと思ったのが決断した1つの要因でした。クラブが必要としてくれていることはすごく嬉しかったのですが、突然フットサルが出来ない身体になって次のシーズンは(プレーが)出来なくなってしまうかもしれない、そういった不安も考えて、大学卒業のタイミングで区切りをつけた方がいいかなと。
あとは、仕事としてのフットサルをしたくないという思いがあって、フットサルが好きだからこそ、お金を稼ぐということにはフットサルではない道を選びたかった。

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ークラブと共にした17年間を振り返っていかがですか。

学校よりも何よりも教わるものが多かったかな。阿久津さん(現:テクニカルダイレクター兼ゴールキーパーコーチ)と1番長く関わっていて、兄が先にロンドリーナに入っていたので、2歳くらいから関わりがあるんです。当時の記憶はあまりないのですが母からはすごく可愛がってくれていたと聞いていて、その時からだと20年間くらい阿久津さんとずっと一緒にやってきました。正直、阿久津さんすごく怖くて(笑)。めちゃくちゃ怯える時期もあったのですが、間違えたこと言っている時が無くて、たくさん怒られたけど、自分が悪かったな、こういう考えが大人なんだなとか、ポジティブに考えられる時が多かったです。阿久津さんは本当にすごく良いコーチ、指導者だったなと今振り返って思います。阿久津さんのこと信頼していたし、阿久津さんも信頼してくれていると思ったからここまでちゃんと真面目にやってこられたかなと思います。

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ーこの17年間で特に印象に残っているシーンはありますか?

1番最初に自分が取り上げられた試合があって、中学の時のHONDAカップっていう全国まで繋がっている大会で。そこの決勝でキーパーをヒールリフトして決めたシーンがあったんですけど、そのときに初めて新聞社の方に取材をしてもらって記事にしてもらいました。当時はリカルジーニョみたいに魅せられる選手になりたい、観客が立ち上がって拍手されるような選手になりたいって答えてましたね。その掲載された新聞を親とか親戚とかが買いに行っていて、そのときにスポーツ選手ってこういうことなんだなって中学生ながらに感じることができてすごく良い経験だったと覚えています。

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あとは自分が初めて(Fリーグで)出場したときと、点取ったときかな。最初に出場したのはアウェーのエスポラーダ北海道戦(2013/2014シーズン第19節)で、当時高校1年生で、飛行機乗るのも初めてだったし(笑)、チームに溶け込めていなくてチームメイトにも全然話しかけられないし、緊張しちゃうし。試合に入る緊張感はなかったけど、チーメイトとどう関わっていけばいいかわからない緊張感があって、すごい不安だらけのアウェー遠征。一人部屋だったし、何していいんだろうって(笑)、試合以外ではソワソワしてました。試合に入ったら、アウェー北海道なのに、すごくサポーターの声が聞こえて大きな応援があって、こんな良い舞台で試合が出来ているんだって思いました。それまで試合に出ていなくて練習だけだったので、Fリーガーとか、湘南ベルマーレの一員っていう意識は薄かったのですが、初めて試合に出て、15歳の若僧の自分もちゃんと応援してくれてすごくありがたかったですし、自覚も生まれました。

そこから2年くらい経っちゃったけど、相手が名古屋オーシャンズ(2015/16シーズン第18節)で初めて点を取ることができて、当時自分の中では名古屋オーシャンズって最強すぎて、自分じゃ戦えないだろうなって思っていたのですが、その1点を取ってすごく自信になりました。まぐれだったかもしれないけど、ペドロ・コスタ選手をズラしてかわして、狙ったところに打てて、上手くなったのかな、戦えるようになったのかなって思えて、試合は負けちゃったけど自分が決めたこの1点はチームにとってもこんな若いのが決めて俺も頑張るかってなってくれたと思うし、自分の中でも自信になったし、すごく良い試合だったかなと思います。

でも、1番印象に残ってるのは試合には出ていない今シーズンのホーム最終戦となった名古屋オーシャンズ戦なんです。あの試合は前半0-2で負けていて、その時の思いを正直に言えばやっぱり俺がいないとダメなのかなって思いたかったところもあって。チームに勝ってほしいのは本心だけど、どこかで「やっぱり晃都がいて欲しいよ」って言葉が欲しかったのも本心でした。でも後半入ってすぐに点を取り返して最終的には逆転で勝利をしたのを見ていて、自分の中でこのピッチに立てていないことも悔しいし、自分がいないのに勝ったって結果に、勝って嬉しいけど、自分はもう重要なピースではないのかな、こんなモヤモヤした思いを持った奴がセットに加わるよりは若い選手が出た方がクラブのためになるのかなとも思った試合でした。正直、1番覚えているのはその試合かもしれないですね。

ーこれからフットサルとは離れることとなりますが、次のステップはどんなことを考えていますか?

ジュニアユースOBでつくったソサイチチームに入ることになって、最近も千葉に試合行ったんですが、事故渋滞に巻き込まれて開始時間に間に合わなくて不戦敗になっちゃって…、だからソサイチチームのデビュー戦はまだです(笑)昔のチームメイトと繋がって、楽しくボールを蹴って、フットボールはこれからも楽しみたいと思っています。
今までの人生のメインであったフットサルがなくなってしまう部分も仲間とフットボールを楽しんだり、趣味を楽しんだり、いつか将来、家庭を持って大黒柱になっていきたいという思いもありますし、今後埋めていけるのかなと思っています。

―今後のクラブに期待することは?

トップカテゴリーにいるからには日本一を取って、俺が在籍した湘南ベルマーレってやっぱり強かったな、良いチームだったなって改めて思いたいですね。素直に言えば自分が抜けた穴が大きいなって思ってほしいなって部分は正直あるけど(笑)、1位になってもらって良いチームだったな、強いチームだなって笑顔で話せるときが来たら良いなと思います。
そして、育成カテゴリーの選手たちには、まずは純粋にフットボールを楽しんでほしいと思います。上手くなりたい気持ちも大事だけど、楽しめるっていうところが次に繋がるきっかけかなと思います。負けても、次は勝って楽しもう、楽しむために勝とう、じゃあ練習しよう、楽しんで練習をしようってどんどん良い方向に向かうと思うので、フットボールをひたすらとことん好きになって、楽しんで欲しいなと思います。

ー植松晃都 ラストメッセージ

まずこの前、引退についてSNSで発信をして、「ファールされても倒れない、倒れてもすぐ立ち上がる」ってコメントをしてくれた方がいて、自分が目指していたフットサル選手はまさしくそこだったので、そうやって見てくれていたというのが分かってすごく嬉しかったです。僕、好きなサッカー選手がいるんです。中田英寿さんなんですけど、たくさんすごいところはあるのですが、特にフィジカルの強さがすごくて、引っ張っても倒れないし、引っ張ってる方が倒れてる。転んでもすぐ立ち上がるし、すごいカッコいいなと思って、こうなりたいなって思いながらずっとプレーしていたんです。痛いときでもすぐ立ち上がろうと思っていたし、ファールされても耐えられる身体づくりも考えていて。だから最後に「ファールされても倒れない、倒れてもすぐ立ち上がる」って言葉をもらえて、自分の目指していた選手像に少しでも近づけていたんだと思えて、何よりも嬉しかったです。

そしてファン・サポーターの皆さんには、アウェーでもホームのような環境をつくってくれるし、よく湘南ベルマーレのサポーターは1番だって言われていますが、本当に1番すごいなって思っていました。会場がベルマーレカラーになって、人数が少ないときでもいつもと変わらない大きな声援をくれて、めちゃくちゃすごいなって。自分はフットサルをずっとやっていたから応援をするって機会がなくて、お金をかけてどこまでも駆けつけて、こんなに人を応援できるってすごいなってずっと思っていました。その応援が本当にありがたかったです。そして、サポーターが1番なのに、自分が在籍した7シーズンでチームが1番になれなかったのは本当に申し訳なく思っています。でも今後、若い選手たちももっと出てきて、これからの湘南ベルマーレの選手たちが1番の景色を見せてくれると思うので、自分はいなくなってしまうけど、これからも素晴らしい応援を続けて欲しいと心から願っています。7シーズン、応援していただき本当にありがとうございました。

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人生のほとんどをクラブと共に歩んできた植松晃都。
時には学校よりも、時には家族よりも多くの時間を過ごしてきた。
そしてクラブもまた同じように、植松晃都と共に歩んできた。

ジュニアユースでの全国大会、史上最年少Fリーガーデビュー、活動区域内で初のFリーガー、最年少ゴール記録、17歳で日本代表初選出。
多くの後輩たちが植松晃都に憧れ、植松晃都のプレーに多くの人が虜になった。

そんな輝かしい経歴の裏にはきっといくつもの苦悩もあったのだろう。

そんなことを微塵も感じさせず、「生意気」と言われ愛される”湘南の申し子”はこれからの人生も簡単なことでは倒れない強さを持ち、倒れてもすぐに立ち上がるタフさで新たな道を走り続けていくはずだ。

晃都のこれからの人生に幸あれ。
第2の家族のもとへ、いつでも帰ってきてください。

植松 晃都(うえまつ こうと)
1998年1月18日生まれ 神奈川県大井町出身
兄が通っていたP.S.T.C. LONDRINAスクールへ4歳の時に通い始めたのがフットサルとの出会い。その後、ジュニアユース、ユースと進み、数年の特別指定選手を経てトップチームへ登録。2019/2020シーズンをもって22歳での現役引退を発表。

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