サクラダファミリア的自己紹介
こんにちは。DMC天童温泉の鈴木です。
今日は改めて自己紹介したいと思います。
きっかけは、このツイート……
自己紹介ではあるんですが、記録用に生い立ちや経歴をカキカキしてみます。
まだ最後まで書ききれていないのですが、公開しちゃいます。
書いて公開してを繰り返しながら完成まで至れればと思ってます。
このあたりがサクラダファミリア的自己紹介の真意です。特に深い意味はありません!
では本編にまいりましょう。
誕生
僕が生まれたのは、埼玉県さいたま市です。旧浦和市です。Jリーグで言えば浦和レッズの本拠地ですね。
よく都会の人は、、、って言われますが浦和でもはずれの方で、浦和駅周辺のようなところではありません。後でお話しする高校の校舎もまわりは田んぼが広がるのどかなところだったので、結構自然にも触れながら育ったと思ってます!
生まれた年は1990年の1月。母親は冬休み中に僕を出産したかったらしく、近くのグラウンドでバドミントンをしてたら陣痛きたって言ってました。
パワフルすぎん?
ちなみになぜ冬休み中に産みたかったかというと、兄と姉がいたからです。学校が冬休み中で、その間に産まないと色々大変だし調整しなきゃいけないからね。
そんなわけで鈴木家の末っ子次男として誕生。
名前は、誠人(まこと)です。
誠実な人になるように。(なれている気がしない)
幼少期
とてつもない人見知り&引っ込み思案でした。
今もだけど、自分から話しかけるとか恐怖すぎてできなかったんです。(今はもう誰も信じてくれない)
でも、そんな鈴木少年にも気になる女の子が登場します。
小学生
特に勉強ができるわけじゃない、運動神経もない。背も小さいし何か取り柄があるわけでもない。
小さいうちって、まわりの友達とどうしても比較しちゃうじゃないですか?
あいつより足遅いとか、あいつより背が低いとか、勉強もできない……みたいな。
そんな比較で勝てる要素もまったくない僕にもこれならいけるかも!と思わせてくれたスポーツがあります。
それは、バスケットボール。
はじめたきかっけは、小学生ながら気になってるクラスの女の子でした。その子は、バスケが好きだったんです。花道がバスケはじめた動機とほぼ一緒だと思います。
ということで下心全開でミニバスに入団しました。
(飽きっぽい性格なのを親に見透かされてたので、ミニバス入団も結構説得したようなしてないような)
中学・高校
小学生の時に下心で始めたミニバスでしたが、完全にハマりまして中学高校まで全力でやることになります。
(ちなみに、その子に想いを伝えることはありませんでした。)
高校は中学でバスケやってたから行けたようなもので、本当バスケとの出会いで人生大きく変わったなと思います。
最後の大会も終えて部活引退した直後は、放心状態で燃え尽き症候群的なやつになってた気がします。
そして、鈴木少年はバスケをしに学校行ってた感じだったので、学校に行く意味を突然見失います。
高校3年の2学期
(今だから言えるけど)学校に行かなくなり、荒川の土手で本読んだり、自転車で東京まで行ってみたり、映画見て時間潰すような日々を送ってました。
兄の家でタイタニック見てた記憶もある。
そんな生活をしていた僕にたぶん今に繋がってる出来事が起きます。
当時、シンガポールで仕事をしていた姉に会いにひとりで海外に行くチャンスを親からもらいました。
THE 現実逃避です。
詳しくはこちらのnoteにまとめてあるのでぜひ読んでいただきたいのですが、要するに「旅は人生を変える」という体験をしました。
シンガポールとタイの2ヵ国に行ったのですが、どちらもそれぞれ良さがあり、日本との違いも感じられて、かつ自分の存在の小ささに気づいたんです。
世界は広いって本当でした。
実は、進路を考える時に美容師を目指してました。
まわりからは反対されましたけど。
だからってわけじゃないですが、紆余曲折あり、最終的にこの初海外逃亡のおかげで、旅行業界を目指すために旅行系の専門学校を目指そう!と決意が固まりました。
ひとりの人生を変える力を旅は持っている
と、この逃亡劇(海外旅行)で痛感しました。
これを多くの方にサービスとして、仕事として提供できる旅行会社って素敵じゃん!と思ったってことですね。
現実そんな生半可なことではないということは、就職してから痛いほど感じることになります……。
専門学校
2008年、無事に都内にある旅行系の専門学校に入学し、観光のこととか資格の勉強をはじめました。
高校までと違って自分の興味がある分野の勉強だったので、学校に行くのは苦じゃなかったですが、朝起きて満員電車で揺られるのがしんどかった。
当時、武蔵浦和駅(JR埼京線の駅)から徒歩5分のマンションに住んでいたので通勤快速とか地獄絵図でした。
専門の時には実家を出ていたので、学校→バイト→バイト→家の繰り返しで、特にこれといった出来事もありません。笑
クラスメイトは30人くらいいたけど、旅行会社に進んだのは数えるくらいしかいなかったような。
あとは、鉄道や飲食系に行ったと聞いています。
僕も就職活動は、旅行会社5社くらい受けましたが運よく1社内定をもらったのでそのままその会社に就職しました。
社会人スタート
2010年、某旅行会社に就職。
全国に支店がある会社で、最初の面談で希望勤務地を聞かれました。
人事の人「希望の勤務地ってある?ほとんど通らないけど」
僕「(通らないんだったら話す意味あるのかな)海があって、山があって、よく晴れて、お茶が美味しいところがいいです!」
人事の人「……。」
そして、4月。
最初の勤務地は「静岡県浜松市」でした!
希望通ったやん。
そうなんです。海なし県の埼玉で育った僕は、圧倒的に海に憧れていたんです。
あとはもともとお茶が好きでした。
雨が嫌いで、晴れるところがいいなーと漠然と思ってました。
はじめての社会人をはじめての地でスタートするという人生初めてのイベントに、今でもドキドキしたのを覚えています。
あの時初めて見た会社やそこまでの道のりも鮮明に。
旅行会社のしごと
僕が働いていた旅行会社は、主に団体営業(団体旅行)が中心でした。
お客さんの層は、年齢が高い方が多かった。
浜松支店は全国でもツアーの取扱量が多くて、入社初出勤の3日後には「はい、鈴木くん添乗いってきて」っていう状況でした。
年間の1/3くらいは添乗で国内、海外まわってました。
ツアーは、旅行会社側が企画して一般募集するタイプと、決まった団体がいてそこの代表の方に提案して行き先とか内容が決まる受注型っていうのがあります。
どちらもやっていましたが、後者の方が多かったですかね。
こっち方面で3コース提案して!ってな感じで依頼がくることが多く、決まれば自分も添乗でご一緒するので行きたいところとかも盛り込みながら企画提案してました。
せっかくなので、少しだけ行ったところの写真載せてみます!
ちなみに話ぶっ飛びますが、プライベートでは浜松にいた時に、同僚で同期だった人と結婚しました。
また話し戻りますが、働いていた旅行会社は全国に支店があると言いました。ということは、転勤もありますし、範囲は全国です。
来年度はどこにいるかわからない状態が4年続き、いよいよ転勤の可能性がでてきます……。
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