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ねむれない日記

どうにも眠れないので日記を書くことにした。思い返せば、移動の電車と帰りのバス(それぞれ1時間くらい)で爆睡してしまったんだった。すでに2時間寝ていることになる。
春眠暁を覚えず、と言わんばかりにおとといも起きたら13時半くらいになっていた。

桜の力

近くの公園の桜が満開になっていたので、桜の写真を撮りに出かけた。公園では花見をしている人がいっぱいいた。私も芝生に座って、しばらく様子を眺めていた。人というのはなぜ花見が好きなのだろうか。桜以外の花が咲いている時に花見をしたり、花に気をかける人は少ないのにこの季節になると公園にはたくさん人が集まる。桜って不思議だ。
桜には特別な力があるに違いない。人を集める力というか。

しっくりくる瞬間

アンサンブルの練習があった。アンサンブルって面白い。いかにしてみんなの中に共通の拍を作るのか、が大事だ。メトロノーム通りのカチカチしたテンポではなく、音楽を生きたものにするには緩急が必要でそれは人間の感情に合わせて揺れ動く。その絶妙な感情の動きを共有するのがさっき挙げた「共通の拍」だ。

共通の拍を作るためには何が必要だろうか?譜面通りにとても正確に弾くことだろうか?常にメトロノームに合わせて個人練をすることだろうか?

この間先生とこんな話をした。他人の音に自分の音を乗せるのではない。乗っかっているのだ。と。いつの間にか乗っかっていた。それは身体的に自分と他者が一体化できたような感覚をおぼえるかもしれない。それがしっくりくる瞬間だと私は思っている。

このしっくりくる瞬間の気づきを支援する研究をしようとしている。分からないものは分かるようにしたいという探究心がある一方で、分からないものは分からないから美しいんだという気持ちもある。分からないものがあるから恥ずかしい、ではなくそれを美しいと思うのは、そのために自分が生きているような気がするからだ。それがなかったら自分の心はとっくに死んでいると思う。そこに生命を感じるからだ。

そんな私の気持ちを解決してくれるのが今回の研究アプローチだ。基本的に分からないの海の中を泳いでいる中で「気づき」によって分かったを見つけられたらいいなと思っている。これは教育でも大事なことだと思っていて、教える側から学ぶ側が一方的に話を聞いて受容するわけではなく、ある行為をしていて「!」や「これってもしかして?」という気づきや疑問を抱く瞬間がもっとある体験を作れればと思っている。
今回の研究は1年きりではなく長期プロジェクトだ。自分の人生全ての疑問や、私の歩いてきた道がそこにはある。

自分にしかできないことってなんだろう。を常に持ちながら向き合っていきたい。

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