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夕立も、予測できない未来も ~ゆっかーお姉ちゃんと欅と櫻と僕~

この記事は、2022年11月13日(日)にアメブロに投稿した記事を移したものです。

今日はレポでも所感でもなんでもない。ただのアウトプット。
人に伝えたいわけではない、でもなんとなく聞いてもらいたい。
だからぐだぐだと書いてみる。

めちゃくちゃ長いです。時間があれば適当に読んでください。というかまあ読まなくてもいいかも。
あと文章めちゃくちゃなので、あとで書き直すかも。

2022年11月8日火曜日、僕は東京ドームに居た。
職場の定休日だったけど13時まで仕事して半休にし、名古屋から新幹線に乗って日帰りだ。なんとも忙しない。

もちろん、ゆっかーお姉ちゃんこと菅井友香さんのラストステージとなる「櫻坂46 2nd TOUR 2022 “As you know?”」東京ドーム公演を見に来たのだ。

座席は、2階25列という天空席だった。いつもならがっかりするところではあるけど、この日はそんなことはない。
この地に立っていること、それこそが大切だった。


開演20分前ぐらいに座席に着いた。
定刻通り、ライブは始まった。


20160813

6年前の夏、ポートメッセなごやで菅井友香推しになっていた僕が居た。
(みっともない写真だな、、、)

2016年前半、当時千葉県松戸市に住んでいた僕は、通っていた地下アイドルのヲタクたちと欅坂の話題で持ちきりだった。
というか、僕の当時の推しもアイドル好き(元々SKE48の某メンバーのガチヲタだった)で欅が気になっていた。
そういうレベルで盛り上がっていた時期だった。

メンバーの発表、「欅って、書けない?」の放送開始、そして発表される1stSg「サイレントマジョリティー」…
新たな坂道グループの誕生に、僕たちは胸を躍らせていた。


8月10日発売の2ndSg「世界には愛しかない」が初公開された2016年6月末、その直前に僕が通っていた地下アイドルグループは下北沢のライブハウスでのワンマンツアーファイナルを行った。
そしてそれ以降のスケジュールは全くなかった。

だからっていうわけじゃないけど、自然とその時のヲタク同士で欅に通うようになっていた。

そんな時、8月13日にポートメッセ名古屋で全国握手会があるということで、僕も実家に帰りながら地元のヲタク何人かと出かけることにした。

その前日に、「世界には愛しかない」付属のDVDを実家で見て、個人PVで浴衣を纏った菅井友香さんを見て好きになってしまった。

そしてミニライブ後の握手会で恐ろしい神対応を体験した僕は、いつの間にか菅井友香タオルを購入していた。ちょろすぎる。

ちなみに、ひらがなけやきの握手レーンが「滑走路」と呼ばれ始めたのはこの時の握手会からだったが、僕はそれを横目にゆっかーお姉ちゃんのところへ並んでいた…(なおその後ひらがなけやきにハマっていく…)


20170326

名古屋での全国握手会があった翌月、僕らが通っていた地下アイドルグループは渋谷O-WESTで解散ライブを行った。

グループの活動は約4年。結成時2名で約1年、その後5名体制になって約3年。
僕はそのうち最後の2年ほどに通っていた。というか通い詰めていた。

僕の持てるものを全てつぎ込んだ期間だった。


そんなグループが解散しても、「欅部」と称したヲタ活は続いていた。

その後3rdSg「二人セゾン」が発表され、正直欅坂のことばかり追っていた日々だった。

クリスマスの日の、有明スタジアムでのライブ。
初めての本格的な欅坂ワンマンライブ。これが楽しくないわけがない。

まあまあの天空席だったけど、僕入れたヲタク3人で入ったこのライブが本当に楽しかった。

この時のライブの光景は、今も印象に強く残っている。


この頃、特に「二人セゾン」が僕の心を揺さぶった。

前述のグループが解散して心にぽっかりと穴が開いたようだったけど、その感情に寄り添ってくれる曲だった。

ちなみに乃木坂の「サヨナラの意味」も同時期のリリースで、この2曲には本当に救われる思いだった。

あの熱心に推しを応援していた日々が、決して無駄なものじゃなかった。意味のある出会いだった。
別れは来てしまうけど、振り向いてはいけない。
そんな気持ちを持たせてくれた2曲だった。

2016~17年の年末年始は実家に帰っていたが、そのついでにねるちゃんの個人PVのロケ地巡りをするなどした。

本当に欅どっぷりだった。

正確に言うと、欅とひらがなけやきにどっぷりだった。
いつからか、だんだんとひらがなけやきのほうも気になり始めていた。


しかも実家から千葉に戻って間もなく、2017年3月にはなんと僕の地元である愛知県蒲郡市・ラグーナテンボスに欅が来るという発表がされた。

こんなに嬉しいことがあるだろうか。僕はこの日までは生きていようと思った。

その後ちょっとして2017年1月21日、幕張メッセで行われた全国握手会のミニライブでゆっかーお姉ちゃんのキャプテン就任と、守屋茜さんの副キャプテン就任が発表された。
ゆっかーお姉ちゃんの運命が動き始めた日を、僕はその場で見ていたのだ。

そう、この先5年10か月の長きに渡る、ゆっかーお姉ちゃんの長い長い道のりがこの日から始まった。

僕が楽しみにしていたラグーナミュージックフェスは、本当に楽しかった。
東京からヲタクが来て、地元のヲタクと4人で一緒に楽しんでた。

ただ、この時ゆっかーお姉ちゃんはいなかった。静岡県の馬術大会に出場していた。
もちろん個人の仕事があるのは悪いことじゃない。だけど、僕はやっぱりそれが残念だった。

また、ひらがなけやきも出演はしなかった。

そしてこのラグーナミュージックフェスが開催された頃、4thSg「不協和音」が世に放たれた。
正直な所、この辺りから僕の中にも少しづつ不協和音が響き始めていた。


20170812

ラグーナ以降欅を追いかけてはいたものの、ライブに当たらなかったり、また個人的にプライベートなところで色々と追い込まれていたので、熱量が少し減ったように思った。

また、「不協和音」が僕の中ではしっくりこなかったのも大きい。
正直言うと、僕らが求めてたのはこういうのじゃなかった。

前述の地下アイドルは割とロックだったのでバンドのヲタクが結構いて、そんなヲタクたちとロッキンに行くことになった。
僕もバンドはなんだかんだで嫌いじゃないというかむしろ好きだし、別のヲタク(元々ハロヲタ)から「アンジュルムも見てほしい」って言われてたので、皆で見に行った。

野外で見る欅はやっぱり最高だった。

「不協和音」はしっくりこなかったと言ったけど、「大人は信じてくれない」とかも入った攻めのセトリで盛り上がった。

しかも、今回はゆっかーお姉ちゃんもいる。最高のシチュエーションだった。
あの時全力で「ゆっかー!!!」って叫んでたので、前に居たバンドヲタクがこっち見て驚いてたけど、知ったこっちゃなかった。

ロッキンは思い出深いライブになった。


しかしながら、その5日後には実家に帰りながら全国ツアーの名古屋へ行ったものの、ひらがなけやきのほうばかり見ていた自分が居た。

一方の漢字欅はというと、正直あまり見ていて気分がいいものではなかった。特にセンターとか。

決定的な打撃があったわけじゃないけど、気づくと僕は漢字欅に対するモチベーションを失っていた。ひらがなけやきばかり気にしていたし、翌年のひらがな2期おもてなし会や夏のツアーなどにも行っていた。

ちょうどこの頃にひとつの地下アイドルが気になってちょくちょく通ってた、というのもあるのだけど、これは死ぬほど熱心に通ってたわけではなかった。

というか、決定的だったのは僕が2017年8月いっぱいで仕事を辞めたことだった。
9月に実家のある愛知県に戻って、けやかけを見れなくなってしまったのは僕にとっては結構大きなできごとだった。

とは言いながら、関東に出かけた時にこんなこともしていたので、ゆっかーお姉ちゃんは変わらず好きだったのだけど。

僕は2017年末ごろから、どこかで見つけた「欅坂は解散済」というワードを多用し始めた。

4th以降ガラッと全てが変わってしまい、2016年のあの頃の僕が好きだった欅坂46は1年で伝説的解散を遂げたんだ。そう思うしかなかった。


2018-2020

年が明けた2018年1月4日、僕はまたラグーナテンボスに来ていた。

「ラグーナミュージックフェス新春スペシャル」なるフェスが開催され、そこにイコラブやラストアイドル、そして今足繁く通っているSTU48がやってきたのだ。

この日以降、僕は長きに渡りSTU48にのめり込んでいくことになる。

2018年3月21日の個別握手会と参加したのが、欅坂の最後の接触系イベントだった。

瀬戸内に通いながらも、欅坂の情報はもちろん耳に入ってきた。
興味はほとんど失せてしまったけど、メンバーはごく一部を除き好きだったし、ゆっかーお姉ちゃんが崩壊しそうなこのグループの屋台骨として支えてくれていることは十二分に理解していたし、辛そうだなとは思っていた。

理解してはいたけど、やっぱり2017年に突然変異した欅坂はもはや別のグループだった。

4th以降、「欅坂は解散済」「欅共和国は帝政」「『世界には愛しかない』と『二人セゾン』を日向坂に譲渡しろ」の3つが、僕がよくつぶやいているワードだった。
今にして思えば、まあひどいもんだ。

僕自身の自己分析なんだけど、確かに欅坂の反発心というかそういうものは共感できる部分も多くあると思った。

ただ、僕が前述の地下アイドルに通っているときに散々そういうのやってきて、疲れてしまっていたんだと思う。

「アイドルを見ていて笑顔にならなかったら嘘」というのを、知り合いのヲタクが言っていた。ほんとその通りだと思う。
欅で笑顔になれないのなら、僕の行く意味はない。それだけだった。


2019年6月、旭川にて

2019年6月。北海道へ「世界には愛しかない」のロケ地巡りをしに行った。

今でもこのロケ地巡りは本当に思い出深い。この時レンタカーで3日ほど北海道を周ったのだけど、ほぼ「世界には愛しかない」を車内でリピートしていた。

それぐらい僕の中ではこの曲が好きだったし、実際に現地に着いた時は本当に感動した。

例えグループや推しメンは消えてしまっても、曲は永遠を生きる。
曲を聴けば、思い出の中でグループや推しメンは蘇る。

少なくともあの色々あった2016年を彩ってくれたのは、間違いなく欅坂だった。
それだけでもいいかなと思った。

ちなみに欅モチベゼロの時も、ユニゾンエアーは普通にやってたし、今もやってる。


さて、欅坂もシングル発売が2019年2月を最後に途絶えてしまい、絶対的センターも2020年1月で脱退した。

僕はこの時、正直「あの頃の欅坂」が戻ってくるんじゃないかと密かに期待していた。

しかしながらそんな中で、あの流行り病が現れた。
世界がパンデミックに陥った2020年7月、その時はやってきた。

グループの発展的解消を遂げるため、欅坂46は改名して新たなスタートを切ることが発表された。
僕は「ああ、ようやく進展があったな」という程度の感想だった。

それにしても、この時の僕がひかるちゃんを新センターにって言ってるのその通りになってすごいな…
(まあ普通に考えれば2期生センターでひかるちゃんか天ちゃんなのは当然の帰結だったけど)


2020年10月13日、欅坂46は配信で無観客2daysのラストライブを行った。
残念ながら、僕はこの時リアルタイムで見ていなかった。

今にして思えば、見ておくべきだった。


12月に櫻坂46としての1stSg「Nobody's fault」がリリースされ、紅白歌合戦にも出場した。
僕自身も、少しづつ櫻坂がまた気になりだしていた。


20210911

年が明けて2021年、気づいたら僕はそこそこ櫻坂にのめり込んでいた。
(「ブルームーンキス」のひかるちゃんがかわいすぎた…)

そして4月から、GYAOで「そこ曲がったら、櫻坂?」の無料配信が始まったので、毎週かかさずチェックするようになった。
メンバーがどんなキャラか分かる毎週の冠番組ってホント大事だなって思う。

そして2021年9月、気づけば僕は櫻坂のライブに行っていた。
タオルは幸阪茉里乃ちゃんになっていた。ゆっかーお姉ちゃんどこ行った。
(ちなみに2021年1月~12月は転勤で北九州市に住んでた。すぐ愛知に戻ったけど)

この日の西日本総合展示場、そのまんま展示場なので幕張メッセみたいに後方までフラット。
で、その最後方。
後方ステージで茉里乃ちゃんが見えたには見えたけど、まあまあクソ席だった。

しかしそんな雑念は1曲目で吹っ飛んだ。
イントロが流れてきた瞬間、「かっこいい! 全然知らん曲だけど!」ってなってテンション爆上がりだった。
知らん曲だったけど。

ツアー1曲目は「Dead end」だった。めちゃくちゃかっこよかった。


初めての櫻坂のライブは、潔く欅曲を一切やらないことで新しい道への決意をひしひしと感じたし、何より最初の「Dead end」が本当にかっこよくてシビれた。

僕は櫻坂が好きになっていた。

ただし、ゆっかーお姉ちゃんは好きだったけど、推しというほどではなくなっていた。
それだけ、櫻坂にも魅力的なメンバーがたくさん出てきたということの証だと思う。

いや、もちろんゆっかーお姉ちゃんも好きだったけど(フォロー)

櫻坂が始動して約1年経っていたので、ここにきてようやく僕も欅坂の最期を見届けようと思い、北九州でのライブ後にラストライブのBDを購入した。

ああ、これなんだよ。この欅坂が見たかったんだよ。
2016年のあの頃の欅坂が、ようやく一歩進んだ形で見えたような気がした。

でも、欅坂はもう見られない。それだけが残念だった。
僕の好きな曲たちはもう披露されないんだと思うと、やはり一抹の寂しさがあった。


そしてゆっかーお姉ちゃんがラストライブで「欅坂46が大好きです!」って言ってた意味。

この言葉を、卒業ライブで改めて噛みしめることになる。


その後、BACKSLIVEも申し込んだりしたけど外れちゃって、結局この次のライブは2ndツアーになる。
それまでも、そこさくを見たり「五月雨よ」の付属BDのBACKSLIVEを見たりしながら、櫻坂のモチベを保っていた。

そして2ndツアーの日程が発表され、名古屋が平日フルチャンだったのでもちろん参戦した。
めちゃくちゃ楽しかった。座席もアリーナ前方で最高だった。

めちゃくちゃ楽しそうな僕。

2ndツアーはまじで演出もよかったし、クオリティが高かった。高いチケ代を払う価値は十二分にあった。


で。
実はこの時点でツアー最終・東京ドーム2daysの初日が定休日の火曜だったので全然行けたんだけど、行くかどうかは悩んでいた。

正直言うと、名古屋でゆっかーお姉ちゃんを存分に見られたし、東京に行ってまで見なくてもいいかなって。

ただ、公式の動画で欅と櫻が「fusion」ってあったので、おいおいもしかして???となったので、勢いで一般発売のチケットを買ってしまった。

みんなゆっかーお姉ちゃん卒業を見届けたいだろうから2日目はもうソールドしてたし、たまたま休みが合う1日目でも全然いいから見られればいいかな…と安易なノリで行くことにした。

あわよくば、僕が好きな「世界には愛しかない」だけでも見れればいい。
それか、ゆっかーお姉ちゃんといえば「青空が違う」か、そのどちらかが見られればいいかなと思っていた。


ある意味で、初日を選んだことは正解となった。

いよいよ、運命の日を迎える。



20221108

定刻通り始まったライブはいつも通り櫻坂のovertureから始まり、名古屋で見たライブと同じ構成だった。

ツアーファイナルなんだから、これまでのツアーの集大成だ。だからある意味当然と言える。もちろんこれもめちゃくちゃいい。
でも、「"fusion”って何?」って思いながら見ていた。

いや、ほんと良いんだよ今回のツアーの内容。
愛知の時はベタ褒めだったし。

でも、僕はてっきり東京公演2日間は今までのツアーの構成をガラッと変えてくるものだと思っていたから、まあ単純に僕が勝手に期待してただけなんだってことに途中から気づいて、しっかり櫻坂を楽しむことにした。

何より、ゆっかーお姉ちゃんの最後なのだ。見届けなくては。
それが強かった。


本編は「摩擦係数」で終わった。ひかるちゃんと天ちゃんのWセンター。
今後の櫻坂を担うツートップの曲だから、ツアー最後を飾るのにふさわしい。

そして本編は終了した。


アンコール。東京ドームは、緑色のペンライト一色に染められていた。
ああ、皆考えることは一緒なんだ。そう思っていた。

僕も期待に胸を膨らませていたら、あのovertureが流れ始めた。
そう、2016年から2017年の頃に何度も聴いた、あの欅坂46のovertureだ。

そして二度と聴くことはないと思っていた、あのovertureだ。


噛みしめるように欅坂overtureを聴いた後、ピアノが流れてきた。

「10月のプールに飛び込んだ」が流れてきた。

信じられなかった。僕の聴きたい欅曲でも上位の曲だった。
しかもほとんど披露されたことがないレア曲。

興奮が止まらなかった。


その後は土生ちゃんと「ヒールの高さ」を披露。

この時点で2人が乗っていたトロッコが下手側を周回してバックステージに来たので、これはもう1曲で上手側を周るのかなと思っていた。

そうしたら、また僕の好きなイントロが流れてきた。


「青空が違う」だ。

なんだこれ。あまりにできすぎてないか。

確かに見たい曲ではあったけど、こんな大事な曲を最終日じゃなく前日に使うのか、こりゃすごいな…と思いながら、僕はゆっかーお姉ちゃんが一人でこの曲を歌う姿を2階席から見ながら、ああ、この曲で本当に最後かなと思っていた。

メインステージに戻ってきたゆっかーお姉ちゃんを皆が迎えて、最後は皆で一緒に歌っていた。
これなんだよ。僕はこの5年間、これを待ってたんだよ

目頭が熱くなった。


そんな時間が続いて、ゆっかーお姉ちゃんが「最後の曲です」と終幕であることを伝えるとともに、

「青春でした」

という言葉を紡いだ。

本当のことを言うとちゃんと一言一句は覚えていないんだけど、「青春」っていうワードが出てきた瞬間、これはもしかして…と一瞬の間に確信めいたものを感じた。

モデルプレス 2022.11.10付記事より https://mdpr.jp/photo/detail/12526296

その確信は間違っていなかった。

僕の大好きな「世界には愛しかない」のイントロが流れ出したのだ。

僕は心の底から身体が震えた。
今まで感じたことのない、本気の感動からくる震えだった。

2017年のロッキンで見て以来、5年ぶりに見る大好きな「世界には愛しかない」。
しかも今はゆっかーお姉ちゃんがセンターだ。


僕は号泣していた。

泣きながら笑っていた。

泣いてるとゆっかーお姉ちゃんが見られないから、タオルで拭っては凝視していた。



モデルプレス 2022.11.10付記事より https://mdpr.jp/photo/detail/12526298

「夕立も 予測できない未来も 嫌いじゃない」

ゆっかーお姉ちゃんのセリフパートは、僕の好きなフレーズでもあった。
たぶん、ゆっかーお姉ちゃんも気に入ってると思う。

最後の最後でこれが見られた。配信ではなく、現場で。

もう思い残すことは何もなかった。

僕はゆっかーお姉ちゃんを見送るつもりが、逆に最高のプレゼントを贈られてしまった。

菅井友香は、最高のキャプテンだ。


アンコールはここまでで、その後さらにWアンコールがあった。
ゆっかーお姉ちゃんがメンバーひとりひとりに言葉を贈る。

休んでいた遠藤光莉ちゃんも登場し、ゆっかーお姉ちゃんは本当にみんなに愛されているキャプテンなんだと感じた。

そして最後は、ゆっかーお姉ちゃんの卒業ソング「その日まで」。

これもたぶん最終日に取っておくんだろうなと思ってたから、まさか1日目に見られるとは思ってなかった。

アンコールなのに僕が見たかった好きな曲をことごとくやってくれるし、卒業ソングまで初日に披露してくれるなんて。

ゆっかーお姉ちゃんの晴れ姿を見届けることができた。
これ以上の喜びはなかった。

ライブの興奮と最終の新幹線の時間にドキドキしながら、僕は東京ドームを軽い足取りで離れた。


正直、ゆっかーお姉ちゃんの活動において終盤の方はそんなにがっつり注視してたわけじゃない。

でも、欅坂・櫻坂を通して常に輪の真ん中に居て、メンバー、ファン、全てを繋いでくれていたのはゆっかーお姉ちゃんだった。

僕はその真摯でひたむきで、素直で優しいキャプテンが大好きだったんだ。



モデルプレス 2022.11.10付記事より https://mdpr.jp/photo/detail/12526299

しかもこの初日のアンコールで着ていたハーネス衣装、後にして思えばこれは2017年夏のロッキンで初めて披露された衣装だった。
これが運命的なものを感じずにいられようか。

(ほぼ)最後に見た欅坂が、2022年の櫻坂とリンクした時間だった。


20221109 and...

モデルプレス 2022.11.10付記事より https://mdpr.jp/photo/detail/12526271

翌日、ゆっかーお姉ちゃんの本当に最後のライブ。
僕は仕事が終わってすぐ、スマホで配信を見始めた。

本編もメンバー・ファンとも気迫を感じたし、アンコールで一度は封印された「不協和音」とゆっかーお姉ちゃんセンター曲「砂塵」が披露された。

ゆっかーお姉ちゃんの卒業スピーチのあと、その後にメンバー全員からゆっかーお姉ちゃんへの手紙朗読と花の贈呈があり、最後は初日と同じく「その日まで」を披露し、最後に「がんばりきポーズ」でステージを去ってライブも終わった。


ここに、ネット記事からゆっかーお姉ちゃんの言葉を引用する。
(リンクは一番下からどうぞ)

「大切な欅坂46も、大好きな櫻坂46もそれぞれにしかない楽曲、グループ、メンバーの魅力が沢山あります。どっちがいい悪いじゃなく、それぞれを尊重しながら、魅力を受け入れて、どっちも愛していただけたら嬉しいなと思っています」

ゆっかーお姉ちゃんの言葉に、僕はハッとした。
僕は2016年の欅坂が好きだったけど、それは違うんじゃないか。

欅坂46は、2015年に結成して2020年に櫻坂46に改名したグループだ。
例え僕が受け入れがたいことがあったとしても、この5年間全てが欅坂なんだ。

一部分を切り取って好きだというのは、メンバー、そして何より外からの様々なことからグループを守ってくれたゆっかーお姉ちゃんを冒涜することに他ならないのではないか。

僕が好きな欅坂は、色んな出来事を経て今の櫻坂に至った。
2者は別のものでもあるし、一体不可分のものでもある。

だからすべてを受け入れて尊重しなければ、「好き」なんて言葉は上っ面だけの嘘だ。


ゆっかーお姉ちゃんは、最後の最後まで欅坂と櫻坂を愛し、守ってくれていた。
僕は今までの自分の言動を恥じ入るばかりだった。

そして僕の中で断絶していた2017年から2020年が、今回の東京ドームで繋がった。
いや、ゆっかーお姉ちゃんが繋げてくれた。

僕はこれからも櫻坂が好きだし、これからもちょくちょくライブに行くと思う。
ゆっかーお姉ちゃんが守ってくれたこのグループを、もっと見てみたいと思ったから。

ゆっかーお姉ちゃんも長くつらい道のりだったはずだけど、「最高に楽しかった」と締めくくってくれたことに感謝しかない。
本当にありがとう。


願わくば、この先のゆっかーお姉ちゃんの未来に素敵な虹がかかりますように。

(了)


【ゆっかーお姉ちゃんのスピーチを引用した記事がとってもいい記事だったのでリンク貼っておきますね】

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