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概念的のらきゃっと~一歩先を行くコンテンツに学ぶ~

突然だが、バーチャルYoutuber「のらきゃっと」が概念的存在になりつつあることをご存じだろうか
のらきゃっとはVtuberでありながら、その創作の在り方は他のVtuberとは大きく異なっていると私は思う

ファンたちによって創作が紡がれ、絵、曲、SSなど、非常に多くの作品が作り出されている
そこまでは他のVtuberと同じように見える、が、彼女においてその創作は一味違うのである

のらきゃっとは非常にその創作の幅広いのだ
内容も、作られるものも、かなり多岐にわたるのである

絵、曲、SS、3Dモデル…その世界観はどれも自由なのである
あるものは戦闘アンドロイドとして戦争を経験し、あるものは平和な日常を誰かと過ごし、あるものは神話や概念としてとらえた作品を、それぞれ思い思い描いている
そして、量産型のらきゃっとのリリースも公式からあったことも影響してか、アバター改変や、それに付随し各ますきゃっとに設定を付与する人も増え続けているのだ
また、のらきゃっと自身もファンによる創作から構成されているのだが、今回は割愛する

そしてそれを可能にしているのが、のらきゃっとのプロデューサーであるノラネコPである
自由なのらきゃ世界を望んでいて、「のらきゃっとが出てこない作品があってもいい」と発言し、自身もバーチャル美少女を推奨しており、そんな姿がのらきゃの多様化というか、多世界化というか、そういったものを助長しているのだと私は思う

そしてどういう訳か、のらきゃっとファンには創作を行う人が非常に多い
もちろん創作をしていなければファンということは全くないのだけれど、それを差し引いても、とにかく創作している人が多い
おそらく次々と新しいことに挑戦するのらきゃっとを見て、それに励まされたり、憧れたり、そんな人が多いからなのだろう

そしてここからが本題である
今までそういった創作シェアワールドというコンテンツは今までなかった訳ではない

例えるならば、わかりやすいのはボイスロイドボーカロイドである

中でも初音ミクを例として挙げると、彼女は外見などの設定以外は初期には存在していなかったが、動画やMMDなどのコンテンツにより設定が付加されていき、だんだんと人格や設定がファンの中で組まれていくようになったのである
その解釈も人によって異なっており、初音ミクを知る人ごとに初音ミクが存在する
そして、初音ミクから生み出された二次創作であったブラックロックシューターがアニメ化されたりして別ジャンル化したりしているのだ

そして今のらきゃっとを振り返ってみる
ファンによってそれぞれの世界観が展開され、最初の設定は戦闘アンドロイドであるというものだけであり、そこからかけ離れた設定が出来ていくなんて待ったくもって想像できなかっただろう
それだけではなく、ファンによる量産型などのVtuberが存在し、今も活動していたりする
こういった点を見ていると、非常に類似している点が多いように思えるので「のらきゃは初音ミクである」とまとめてしまっていいような気もするのだが、一つ明確に異なることがある

初音ミクは中心にあるものが存在しない(いわば作品の中核を担うものが存在せず、ファンの作品だけに依存している)ため、彼女は不死の存在なのである

一方、のらきゃっとは作品の中心が放送を行っているのらきゃっととノラネコPに依存しており、もしそこが死んでしまえばそこからのらきゃが未来に進むことはできなくなり、過去に括り付けられ、永遠に止まった時間を彷徨うのだ
例え過去を知る者を集め、のらきゃっとの復活が叶ってもそれは過去あったのらきゃっとではないのだ

そう、のらきゃっとは死ぬのだ、明確に

そうするとここでまたもうひとつ似た形のコンテンツが浮かび上がってくる

東方projectである
コンテンツの中心は、原作ゲームの製作者であるZUN氏であり、彼がいなくなれば新しいキャラが生み出されることはなくなり、こちらも必然的に過去にすがることになり死んでしまう

そう、死んでしまうのだ

しかし、すべてが死ぬのか、コンテンツが死んでなくなるのか、と言われると、恐らくそうではない
同人誌は書かれ続けるだろうし、同人ゲームも生み出され続けるだろう

こう考える根拠は簡単で、例えば12話もののアニメが最終回を迎えたとする
公式からの供給も断たれてしまった後、コンテンツは死ぬだろうか

いや、死ぬことはないのだ

そのジャンルを愛しているものが存在し続ける限り、同人誌の供給は止まることはないし、次第に概念だけが独り歩きし始めることになる

こうしたコンテンツから、「のらきゃっと」が死んでも、概念的「のらきゃっと」は個々のファンの中に残り続けることになる
やがてそれは集まることにより、のらきゃっとの虚像を生み出し、今度こそ「死なないのらきゃっと」が完成するのだ

私はのらきゃっとは死なないのらきゃっとを目指し、それを実現できると確信している
そう、のらきゃにはエンディングとしてアンドロイドとしてこの世界に顕現するという一見果てしないような夢がある
しかし、実現するまで応援していれば、支え続ける誰かがいればいつか、いつかきっと叶うのだと私は信じている
そして概念が生きてさえいれば、その想いに触れたもの、憧れたもの、そういった人々によってまた新たに創作は受け継がれていくのだ

私は、この概念的のらきゃっとも含めて、のらきゃというコンテンツが大好きだ
今後ものらきゃっとという概念が、Vtuber界、VRC界以外においても、広く広がっていることを切に願っている

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