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櫻井(仮)は静かに暮したい ②

私の友人を紹介します

 初対面の人との場を盛り上げたい。けれど自己紹介を盛るのは今後の付き合いを考えるとはばかられる。そんなとき、私に力を貸してくれる友人のエピソードを紹介したいと思います。

 さて今回紹介するエピソードは、友人グループ内の最イケメンの櫻井くんが、お気に入りパーカーをパンクにしたお話です。
「俺の話で……皆に……笑顔を……」
そう言う彼のエピソードで笑ってもらえたら、私も彼も幸いです。

社会人になって数年めの冬の日。

 営業の外回りで後輩を庇って折った左脚が回復して数週間が経った頃。
「いやー、これでエグゾディア4枚まで揃ったわー」

エグゾディア

※骨折経験で両腕両脚をそろえたという意味
なんて言って自分に降りかかった悲劇を笑い話にする彼だったが、今回ばかりは参っていた。
 職場への通勤の都合で学生時代から住んでいた家を引越し、周囲に友人のいない土地で一人暮らしを始めて初の冬。インフルエンザの予防接種を毎年欠かさぬ彼なのだが、この年はそれにもかかわらず40℃の熱が数日続いた。
「イカン!これは死ぬ!」
友人らから消化によいメニューを聞くも作る元気は無く、命の危機を感じていた。そして覚悟を決めるのである。

それは勝利の概念武装

 心配から見舞いを買って出る友人の来訪を断る。死に至る病なのだとしたら、それで苦しむのは自分ひとりで十分だ。そう思ったのだ。
 しかし、最悪の事態を想定して被害を最小限に収めることと、自分の命を諦めることは同じではない。効かなかった市販の解熱剤を飲み、趣味のスポーツの試合用に取っておいたゼリー飲料を無理やり胃に流し込んで起き上がる。世界がぐるぐると回るようで、病院まで辿り着けるかが不安になる。そんな彼の歪む視界の端に、それが映った。
 スポーツブランドの、推してるチームコラボのパーカー。試合前の集中力向上ルーティンとして羽織り、試合でピンチの場面にはベンチに掛けたそれを見て己を奮い立たせる、言うなれば櫻井なりの概念武装である。これを使うからには、それに相応しい己でなければならない。このおかげで掴んだ勝利も1度や2度ではなかった。
「力を借りるぞ……」
櫻井はその装束に身を包み、闘争心に火を点けて家を出た。

朦朧

 通常の外出着にパーカーとダウンジャケットを重ねたモコモコ状態にもかかわらず、路上でも病院の待合室でも悪寒と震えが止まらない。とうとう呼ばれた診察室では、暖房器具から送られる風の温かさは感じるものの、それでも寒い。顔の熱っぽさと四肢から這い上がるような寒さのギャップが気持ち悪いことこの上ない。
(病院なのにいればいるほど気持ち悪くなるのは構造上の欠陥があるのでは?)
朦朧とする頭でそんなことを考えていると、診察を終えた担当医が向き直った。
「この症状、ウチでは対処できないので大きな所を紹介しますね。緊急性が高いのですぐ向かってください」

 移動のタクシーを待つ間、ふらつく櫻井を支えてくれた看護師さんのアドバイスに従い、常温のスポーツドリンクを摂取したら気持ち楽になってきた。みっともなさを承知で背もたれにうつ伏せて時を数えた。
 長いようなあっという間なようなキルタイムの末、黒塗りの自動車へ乗り込む。痛みやら苦しみやらを紛らわそうと10秒にひとくちのハイペースでちびちびやりながら、2本のペットボトルを空にしたところでそこへ着いた。テレビで見たことのある、大きな大学病院だった。

 始めの病院での診察結果を見たこちらの担当医は、説明と指示をテキパキ進めていく。
「先の病院での血液検査の結果に異常が見られまして、櫻井さんは髄膜炎を患っている可能性があります」
(髄膜ってどこだ?ホルモン苦手だから分からないや……)
「もし陽性だった場合は緊急入院となります」
(フェアリーより水タイプの方が好きなんだけど)

ゴルダック

※櫻井は全てのポケモンの中でゴルダックが1番好き

「まずはそのための検査として髄液採取を行います。本来は麻酔をかけた上で行うのですが、アレルギー検査の結果を待てないので、麻酔せずに採取します。よろしいですね?」
「え?アッはい」
このときのことを後に櫻井はこう語る。
『頭が朦朧としてたから脊髄で返事してた。まさかその脊髄があんなことになるなんて……』

強さの代償

 熱により思考がままならないまま、櫻井は指示されるまま処置室のベッドに横たわる。服を脱いで上裸になり、右半身を下にしてカゴに入れた荷物と衣服を見詰める。
「では注射しますね。痛いので頑張ってください」
(注射で髄液採るのか。そらまあ痛いやろ。あれ?髄液?モンハンでレアな……)
脱脂綿が第二腰椎の左側に触れる。塗られたアルコールがひやりと熱を奪った。ゴム手袋越しの手と、これまた冷たい金属があてがわれ……

「ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛!!!!」
痛みに噛み締めた奥歯がギリギリと音を立てる。詰まった鼻の分、歯と歯の間から呼気が漏れ出る。痛いなんてもんじゃない。だが痛いとしか言いようが無い。骨折も何度か経験した。過呼吸も肋間神経痛も胃痙攣もだ。しかしその全てを上回る……合計しても届かぬかも知れぬ激痛が、文字通り体を貫いている。
 何十分にも思えた実時間4秒ほどの後、針が抜かれた。疼痛が波打ちながら引いていくのを感じつつ背後へ顔を向けると、見たことの無い、ストローかって太さの注射を手にした担当医が、困惑した表情を浮かべていた。

骨髄穿刺針

「お、終わりました?」
「櫻井さん。何か運動を、体を鍛えていたりしますか?」
彼の手の注射器はピストンが引かれていなかった。
「ええ。多少ですが……」
沈痛な表情の医師は心苦しそうに言葉を絞り出す。
「あの、櫻井さんの背筋が強靭過ぎて針が通らないので、逆側から再度試みます」
顎が外れるかと思うくらい口を開けたのはこれが人生で初めてだった。

広背筋


その力を貸してくれ

耐えられない。このままだと自分が崩壊してしまう。そう思った櫻井は間合いを取る。
「ちょっと、ちょっと待って……こうしてもいいですか?」
「ええ。大丈夫ですよ」
針の抜かれた箇所の止血は終わったものの、痛みは引き切らない。脳みそに焼き付いたアレが再び来ることを思うと膝が笑う。しかしそれでも越えねばならないこの状況。折れそうな心を支えてくれる存在を櫻井は求めた。
 そしてそれを掴んだ。
 幼少期から観戦に通った、故郷のスポーツチーム。そのアニバーサリーパーカー。丑三つ時にリモート対応を求める電話で叩き起こされたとき、月の残業時間が200時間に至り恒常的な目眩を患ったとき、スポーツ大会で勝敗のかかった瞬間……そんなとき、勇気と元気と負けん気をくれた、もはや櫻井にとって相棒とも呼べる勝負服だ。これを概念武装として腕に抱き、チームエンブレムを顔の前に置いて、彼は再度ベッドに横たわった。
「では行きますよ」
冷静な声。繰り返される手順。消毒の後、あてがわれる手、そして太い注射針。
 金属特有の冷たさを感じてすぐに、焼けるような激痛が走る。躊躇いの無い一突きが深く、重く、櫻井を貫く。声にならない悲鳴を噛み締め、呼吸すらも忘れ、まぶたの裏で赤い火花が散る。噛み締めた奥歯からバリバリという音を伴って、ザラリとした感触が口に広がった。
(歯が欠けた!?でも噛み締めないと暴れちまう!何か噛む物を……)
走馬灯のようにゆったりと記憶が流れる。太古の戦士、サバンナの狩猟民族、そして山奥のマタギらは、仕留めた敵や獲物の力をその身に取り込み強くなるため、対象を食べるという。食事は原初の儀式のひとつであった。
 そんな断片的な情報と、これまで身にまとうことで力をくれた存在が、極限と言える脳内で結びつく。もはや反射の域に達した速度で、櫻井は眼前の限定スポーツパーカーへ牙を立てたのだった。

お気に入りのパーカーがパンクになった件

 熱に加え痛みで朦朧としながら、1~2時間が過ぎたかのような疲労と疼痛を抱えた櫻井は放心していた。
「……すか?」
暖房から流れる空気が汗ばんだ背を撫ぜ、冷えた肌がふるりと震える。
「大丈夫ですか?」
寒さと、震えにより蘇った痛みと、心配そうに覗き込む看護師の声で、櫻井は自分の肉体に帰りついた。
「え、ええ。大丈夫です」
慌てて、しかし痛みで速度を緩めながら、インナーとシャツを身に付ける。
 その様子を見た看護師は、汗だくの櫻井に水の紙コップを差し入れる。
「ありがとうございます」
「本当に大丈夫ですか?」
「人生で1番痛かったです」
看護師は噛み殺しきれない笑いを浮かべながら、髄液採取は出産並みかそれより痛いらしいですよと言った。
 彼女を笑わせ一握の満足を得た櫻井のもとへ、担当医が戻る。
「大丈夫ですか?」
「ええ。なんとか」
「お強いですね」
(そんな重大な検査だったのか)
驚きと畏敬の混ざったような顔を彼は浮かべていた。

「それで検査結果ですが、髄膜炎ではありませんでした。血液成分の異常は、問診結果を聞くに重度のストレスが原因かと予想しますが、詳細不明です。ひとまず今回はこちらの解熱鎮痛剤をお出しするので、水分をよく摂って寝てください」
「ありがとうございます」
処方箋を受け取り、待合室に戻るべく、持ち込んだ衣服を身に付けようとして櫻井は気付いた。自分に力をくれた勝負パーカーが、肩口から食い破られダメージ加工されていることに。

ダメージシャツ

そして

「っていうコトがあってよ~!」
ある晩、友人グループで通話をつないだ。
「自分でパンクロックな衣装を病院で作るヤツ初めて見たわ」
「ワイルド過ぎでしょ。衣装も相まってスギちゃんでしょ」

スギちゃん

「そんな感じ!そんな感じ!」
「絶対医者も看護師も笑ってたでしょ」
「医者は呆然、看護師さんは腹抱えてたわ。もうこれは俺の勝ちだね!」
「いったい何と闘ってるんだ……?」
「じゃあもう元気になったんだ?」
櫻井は誇らしげに答えた。
「いや、コレ今日の話だからまだ調子悪い」
「「「おとなしく寝て!!?!?」」」
友人一同の合唱が、彼のスピーカーから流れ出た。


 以上が、私の愉快な友人櫻井(仮称)の、お気に入りのパーカーをパンクに加工したお話なのでした。


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