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偏見や思想の偏りは時としてその人を幸せにすることがある、それが信じる力と呼ぶこともでき自分の人生の使命だと感じるものもいるだろう。

だが全ての人間がそんな自分に才能があると信じきって生きれるわけではないし、その偏りの幸せが続くとも思えない。

であればそれを疑う行為が発生するわけで、その疑いができる人間は自分の人生における判断を正しく行うことができる。

両方を兼ね備えた人間はきっといないだろうが、自分の人生の正義を貫く時、進むべき道を疑うことの両方が君には必要だ。

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