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自省録

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2023年3月の記事一覧

3/31

3/31

結局は終わり方に左右されてしまう、それまでがどんな経験があったとしても自分にとっては終わり方が全てどんな思い出だったかで変わる。

きっと俺も前の活動は綺麗に終わって、凄くいい思い出だったと思っている。自分で物語の終わりを綺麗にしたからいい思い出として残っているんだろう。事実辛いことの方がきっと多かった。それでもその辛い事実よりきっといい終わり方をしたから都合よく解釈しているだけなのかもしれない。

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3/30

3/30

記憶。それが全て人生を支配しているかもしれない。終わりよければ全てよしというのは人生は決して長さなどではなく、死ぬ間際にどれだけいい終わり方を迎えられたかによるものだというものだ。

結局どんなに長く長寿に生きていたとしても他人からみて悲劇的な最後の終末を迎えればそこまでいい人生ではなかったんだなと思われる。

他人からみた自分の人生の評価なんてどうせ死んだあとでわかるわけないのだから気にしたって

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3/29

3/29

別に他人がどう受け止めたって関係ないって思いたい。それでもなにかを発信し続けるのは誰かにいいと思われたいという欲求からなるものなんだろう。

結局自分も人間ということでなにかしらを承認欲求然り三大欲求を求めながら生きてしまう、でもお前は内的欲求による楽しさを知っているはずだ。

自分に向き合う瞬間、成長したと思う瞬間。

どんなに人間がお前に期待しなくてなにも感じなかったとしてもその成長こそがお前

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3/28

3/28

自分がどれだけいいものを作ったと、どれだけ努力しようと世間から評価されなければそれはゴミだと言う人がいる。

果たしてそれは本当にそうなのだろうか。内的な喜びと外的評価から承認欲求は同じに扱っていいのだろうか。断じて違う。

そんなこと言えば人から認められなければ、認知されなければ存在しないことと一緒だという人間がいたとしても、確かに自分の認識は今ここにあってなにかしらの影響を受けていたとしても、

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3/27

3/27

経験する自己と記憶する自己の二つを人間は併せ持つ。経験の終わりが良ければ長い苦痛だったとしても短い苦痛で終わり方が最悪だったものと比較するとそれをもう一度経験する方がマシというものだ。

多分これは何事にも同じ効果があって、どんなに批判されたりとかなにがあったとしても終わり方が重要だったりするかもしれない。

終わりよければ全てよしという言葉があるように人間は勝手にそのような反応をしてしまうのだ。

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3/26

3/26

とりあえず今日も生きている。それでいいとは思うんだけどきっとこれは違うし、生きているだけでいいとは思うんだけどなにか違うと感じる。

本当に何か違うと感じることが多い、きっと今死んだら後悔するような生き方をしているかもしれないと感じる。

外的な部分の喜びも内的な部分の喜びもどちらも必要なのだとは思うんだけど、どちらかに偏りすぎてもきっといい人生ではないと思う。

誰かに求められたいとか、そういう

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3/25

どんな時でも自分を忘れないようにしたい。本当に。というかたまに自分がなんで生きているのかとか誰かに求められたいとかよくわからない思考をするがそんなことは自分で見つけていくしかないんだろうとお前はわかっていてもずっと何かを欲している。承認欲求やその他三大欲求は人間を突き動かす大きな原動力になりうるが、欲求の中で動いているようではまだまだ人間になりきれていないと思う。その欲求から逃れることはできないだ

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3/24

3/24

人の趣味嗜好はその質問のフレームによって左右される。聞き方の問題、聞く際の言語の選択。それらでなにが好きか、ある程度決まってくるのだろうと思う。

人が想像したことは人が実現できるのと同じように言語で思考をコントロールすることはある程度容易であるということ。

これはどんな状態でも言えることだが、誰かになにかを伝えるときは伝え方が重要であり、言葉のチョイスによって相手の思考がわかりやすいものとなる

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3/23

3/23

臓器提供率が高い国はチェックマークを入れれば臓器提供をしないし、臓器提供率が低い国はチェックマークを入れないと臓器提供の意思がないと見なされる。前者をオプトアウト、後者をオプトイン方式というらしいがデフォルトに任せてしまうというのが人間の本質なのだろう。

感情の受け取り方によって左右されてしまうのが人間であってどんな記載のされ方、言葉の捉え方かで人生が決まるということだ。

なにが悪いとか良い自

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3/22

3/22

全てが辛いわけじゃない。未来に向けて自分が動き続けること、それがお前にできることだ。自己実現のために生きて、どんな他者評価を受けようと自分の為に生きる。

誰かの為に、お金や労力を惜しむこともきっと幸せに繋がることであるし、いいこととして社会では評価されるだろう。最終的には自分がどのようにして死ぬのかなんてわからないだろう世界でやりたいことをやれずに保身で死ぬのはごめんだな。

だからお前は常に自

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3/21

3/21

人の好き嫌いはなにで別れているのか。それは単純に記述の仕方、言語としての表現方法によるものなのだ。

どうしたってシステム2を常に使うことは頭のいい科学者や有名人であってもできない。心理というのは感情がついている人間において絶対に働いてしまうものであり、好みというものも表現方法がその受取手にたいして良心的な表現方法を使っているかによるのだ。

結局人間は自分の都合のいいように捉えることもできるし、

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3/20

3/20

客観的に発される言葉や事実は表現方法によって相手の感情を大きく揺さぶることができる。

全ては捉え方の問題ともあるが一々人に言われた言葉にそれが逆に捉えればどういう結果になり、自分の選択を下すことはやっていられないと思ってしまうだろう。それはシステム1に判断を委ね続けているとそうなるのだ。

提示された言葉がもちろん事実かもしれない。だがその伝えられた結果に対して逆の表現方法が必ずあるはずだ。

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3/19

3/19

損失と費用はイコールではない。費用と聞けば払いやすいし損失と聞けば損した気分になる。どちらが勝った負けたの表現と同じだ。人間は感情があるからこそそのように想像によって裏側にある事実に気づけずに翻弄されてしまうことがあることを覚えてほしい。

表現方法によって、人が想像、虚構を考える能力に秀でているからこそ自分の想像はその言葉によって肯定されるのだと思う。

人間がどう感じるか、もちろんその言葉は他

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3/18

3/18

並列評価で初めて合理的な判断を下すことができる。自分に対してもそうなのだろうが自分がいかに客観的に判断できていると思っていたとしても主観が抜けることはない。

確実に思考に偏りがあるし、人は同一の思考回路の中で生きることを好むのだから、そのような自分の挑戦とも取れる対局の意見を聞きづらいんだろう。誰でもそうだと思う。

だが、他人からの評価は事実である。どう思ったかはその人の主観が大きいが、その評

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