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自分の力では変えられなかった否定的に考える癖が、神様により頼むことで肯定的に考えられるようになり、希望で生きていける


今日(4/29)、3人の息子とともに体育館でバスケットの個人練習をしました。

その時、長男と次男が激しくぶつかり、長男は手を、次男は足を怪我しました。

次男が長男に強引にぶつかっていき、衝突しました。



長男は手を怪我しましたが、痛みに耐えている様子でした。
顔にはアザができていました。



次男は、激しく痛みを訴え、救急車を呼ぶか、病院をへ行くか、迷っていました。

「ドカッ」と、激しい音を立てて衝突した様子に少し驚き、一瞬、不安や心配や焦りが出てきそうになりました。

でも、そこで、神様に意識を向け、まずは神様にケガが治るよう少しお祈りをしました。

神様に意識を向けることで、大丈夫だと思いつつも、
その後も激しい痛みを訴えている息子に、「何かしないと、、、」と思い、救護室に運び、患部を氷で冷やしました。


冷やしながら、患部を抑えながら、神様にどうしたらいいか答えを求めました。



たくさん選択肢が思い浮かびました。


「救急車をよんだほうがいいのか、救急車を呼ぶほどのケガではないのではないか、でもとても痛そう。

病院に連れて行ったほうがいいのではないか、どこの病院か?何科か?外科?整形外科?小児科?

今日は祝日ではないか?やっているのか?救急で受け入れてくれるところはあるのか?3人の子供をつれてすぐに連れて行けるか?

看護師の妻に聞いてみればいいのではないか?この状況をうまく伝えられるか?直接病院に聞いたほうが早いのではないか?

施設の人に聞いてみるといいのではないか?でも忙しそう。」


そのような選択肢の中から、まずは妻に電話をしてみました。

私:「子供がけがをした。どうしたらいいか教えて。」
妻:「え、聞こえない。。。」

電波が悪く、うまく会話ができませんでした。
再度、電波のいい場所にいって、電話をしました。

私:「子供がけがをした。どうしたらいいか教えて。」
妻:「患部は腫れてる?一人で歩けそう?意識はある?」
私:「少し腫れてきた。一人では歩けない。意識は大丈夫。」
妻:「じゃ、救急車はいらない。」
私:「病院行ったほうがいいかな?」
妻:「。。。。」

やはり、うまく繋がりませんでした。



次に、病院に電話をしてみました。

私:「子供がバスケで足を打撲しました。受け入れられそうですか?」
病院:「本日、外科の先生はお休みです。」

その病院はあきらめて、別の病院に電話してみました。

私:「子供がバスケで足を打撲しました。受け入れられそうですか?」
病院:「もう少し状況を教えて下さい。」
私:「くるぶしの上あたりを打撲し、少し腫れています。痛みは少しマシになっていているようです」
病院:「外科は救急で受け入れ可能ですが、整形外科の先生はいません。受け入れる場合直接、当院へお越しください。」

あまり意味がないと思い、病院へ行くことはやめました。



ふと、人間の力で問題を解決しようとしていたことに気づき、
改めて神様を意識し、神様にお祈りを捧げました。

「すべての不安心配がなくなりますように。子供の足が治りますように。どうすればいいか答えを与えて下さい。」

そして、子供にも
「神様に、痛みがなくなるようお祈りしてみて。」
と伝えました。

そうやって、2人でお祈りを捧げていると、
「神様が必ず守って下さるから大丈夫」
という希望が湧いてきました。

そして、

「少し前に焦っていた自分が嘘みたい、
少し前に電話が繋がらなくてイライラしていた自分が嘘みたい、
少し前に人に頼っていた自分が嘘みたい、
神様が必ず守って下さる、
すぐに良くなる、
一番最良の方法で導いて下さる」

という希望が湧いてきました。

そうしていると、痛みは少しずつやわらいでいったようで
「大丈夫そうだから、家へ帰りたい」
と、息子が訴えてきたので、そのまま帰宅しました。

そして、帰宅後は、「冷やすより温めるほうが気持ちいい」、とのことから温めて様子を見ました。

結果、事なきを得て、けがは回復傾向です。




この出来事を通じ、人間の力では何もできないということを再認識しました。

そして、自分の考えでやっても否定的な考えになるだけだと。

神様を知る前の私なら、焦って、イライラして、人に八つ当たりして過ごしていたかもしれません。

長い時間、不安と心配と怒りで過ごしていたかもしれません。

救急車を呼んで、不安と心配に陥っていたかもしれません。

でも、神様に意識を向けることで、そのような時間が減ったと思いました。

以前の私なら、自分の頭であれこれ考え、今回のような事故であれば、数時間ほど、不安と心配と怒りで過ごしていたかもしれません。

でも今は、神様を知り、必ず守って下さるという信仰があるから、否定的な気持ちになる時間が減りました。

否定的な考えに陥ったとしても、神様に意識を向けることで肯定的な気持ちが出てくることがわかりました。

それだけでも希望ですが、実際に子供たちの怪我も回復傾向になりました。


霊も肉も神様が守って下さいました。

どんな問題も心配しないで、神様に解決できるよう祈り求めなさいという御言葉どおりでした。

どんな問題も霊界から変えて頂くことで、解決する。
その通りでした。

私自身の心が平穏になっていくと、子供たちの心も平穏になっていったのがわかります。

RAPT有料記事611(2021年12月6日)どんなことも心配しないで主に解決できるように祈り求めなさい。そうしてこそ全ての問題が完全に解決し、その問題すらもかえって自分にとって益となる。

https://rapt-neo.com/?p=55983


そして神様は、「否定的な考えはサタンの考えだから、1mmも残さないように、その考えを信仰の火で焼き尽くしなさい」とも教えて下さっています。

朝の祈り会 2024年4月

2024年4月27日(土)
一ミリでもあなたの中に否定的な考えがあるなら、あなたの中にサタンが住み着いていると考えなさい。そして、信仰の火で全ての否定的な考えを焼き尽くしなさい。(サタンがあなたを破滅させようとする力より、神様があなたを幸福にしようとする力の方が遙かに強いと信じなさい。)


2024年4月28日(日)
神様は肯定的な考えしか持っておらず、サタンは否定的な考えしか持っていない。だから、私たちが少しでも否定的な考えを持つと、たちまち神様と波長が合わなくなり、サタンと波長が噛み合い、サタンの側へ引きずり込まれてしまう。

https://rapt-neo.com/?page_id=59515


この御言葉を聞いた後の今日(4/29)の出来事でした。

この御言葉を深く悟らせるために、このような出来事を起こして下さったのかももしれない、このような出来事が起こることを許諾されたのかもしれないと思いました。

まだ完全に否定的な考えを焼き尽くせてないですが、少しずつ取り除いています。

こうして万物を通して悟らせることで、御言葉を深く悟り、成長していくことができます。

そして、サタンの考えである否定的な考えがなくなり、神様の考えである肯定的な考えだけで満たされることで、どんなことがあっても、平穏に希望を持っていきていけるのだと確信しました。

そのように、御言葉を与えるだけではなく、御言葉を悟れるようにも、働きかけて下さる神様に感謝致します。

ただ伝えるだけではない、それを深く理解できるようにまでして下さる神様の愛に感謝します。

こうして、また一つ、信仰が深くなりました。

どうか多くの人が、この御言葉に出会い、信仰をもって、神様により頼む生活を送っていくことができますよう、心よりお祈り申し上げます。

否定的な考えが当たり前となっているこの世の中で、多くの人が、神様の御言葉に聞き従うことで、肯定的な考えになり、希望をもって生きていけるようになることを、心りお祈り申し上げます。




「あとがき」

今回の出来事で、一番成長がみられたのは3男でした。

長男、次男が怪我をして動けない状態、私がその対応をしていて動けない状態。

その中で、小学2年である、3男は自ら動き、
荷物をすべてまとめ、兄の面倒もみて、ケガが治るようにと神様にお祈りも捧げてくれました。

そのように今までで甘えん坊だった、3男が大きく成長していたことに感動しました。

そして、そのように導いて下さった神様に感謝します。

このような苦難があった時に、本当に神様を知っていて、神様の御言葉に聞き従っていてよかったと思います。

苦難の時にこそ、神様を深く愛すことができます。
もっともっと愛せますように。

そして、どんな時も、苦難の時も、祝福の時も、何もない時も、神様の大きな愛と力を信じ、生きていけますように。



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