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参考文献になりたい

「何者にもなれなかった自分を認める」という段階について語られることがある。
それは、夢を見られる子ども時代を送ったという証拠でもあり、とても贅沢なことだと今は思う。
でもかつての私はもっと傲慢で、向こう見ずで、自分の努力でなんとかならないことなどないとすら思いかけていたので、なりたいものになれると思っていた。
その、なりたいものを諦めたきっかけが、妊娠だった。

『虎に翼』で妊娠した寅子が、仕事を辞めねばならないのかと逡巡し、恩師に母体としての務めを説かれ、「私の話をしているんです!」と声を荒げたシーン、とても正視できなかった…
「私」として生きてきたのに、突然に「母体」という人格のないものにされ、生命の責任を一人で負わされ、「私」を主張すればとてつもない我儘だと判断される。
この、不条理。
たとえ望んだ妊娠であっても、憲法が基本的人権を認めても、なぜか「母体」はその維持以外の意思を持ってはいけない。
そしてそのまま「母」となることの不条理もあるのだが、私はとくにこの、妊娠中というものが、今も気に食わない。
なにせニンゲンは単体で妊娠できないのに、この扱いは一方にしか発生しないからだ。
だからたぶん、私はずっと怒りを溜め込んでいる。
寅子のように。

一方で、自分が「私」という単一の存在で成果をあげることから「誰かに繋ぐ」ということに意義を見いだせるようになったことで、救われてもいる。
例えば私は、休学せずに妊娠出産をした初めての学生だったのでその経験は大学側に託児所やベビーエリアの必要性や学びの多様化を用意する結果に至ったし、育児のためのある制度のために臨時で働いた初めての職員でもあってその後のモデルケースとして役立ったそうだ。
自分の感じた不条理を、未来の人たちのときに少しばかりは薄める役にはなったかもしれないと思えば少しは咀嚼できる。

ただ、私ではない、この先の誰かになにかを遺す。
それは尊いことではあるけれど、私という一個人は何者にもなれない。
そういった寂しさのような、ちくちくとした感覚がなかったとは言えない。
そんな時にある分野の研究者たちと出逢った。
「100年先の人が自分の論文を参考にしてくれたらそれはしあわせ」
と、そういった感覚の持ち主たちだった。
なにかを発明したり、解き明かしたり、一躍時の人になることを理想とする研究者ばかりかと思っていたから、とても驚いた。
私が妊娠によって諦めるに至った研究者という存在の人たちが、それを言うのだから。

彼ら、彼女たちは、博士なのでとんでもなく勉強と努力を重ねてきている人達だし、決して謙遜しているわけではない。
本当に心の底から、自分たちの研究分野を愛し、解き明かそうとし、でも自分だけのチカラでは命の期間が足りないのを自覚して、次の世代に何かを残そうとしているのだ。
自分たちもそうして過去の人たちの研究をうけとっているから、と。

オンナであるという要素と妊娠という生理的現象で自分の有り様を変えた私には、私と同じようなものに意義を感じる男性たちがいることに驚いたし、彼らが決してそれを卑下していないことに自分を恥じた。
私も、自分の信じるもの、心血注げる分野で「誰かに繋ぐ」ことを愉しもうと思った。
その気持は、いまの仕事の「人と人、人と制度を繋ぐ」というところにも共通しているけれど、根本的なところでの私の生き方のようなところにも流れている。

私はいつか誰かに何かを遺せるかもしれないし、遺せないかもしれない。
でもその評価は今することではない。



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