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桜はそれぞれに咲く

息子の受験が終わった。

4年前、私の住んでいる地域の「中学校では常に学年トップでした」とか「週6で塾行ってます」とかの猛者が通う県下トップクラスの進学校に合格してしまった息子。
もちろん息子自身はそんなタイプでもなく、勉強している姿を見たこともなく、中学校での勉強を「何の意義があるのだ」と舐めてかかっていたため(そしてすべてを理解しているがために教師も注意できず)私の住んでいる地域の県立高校受験はほぼ内申点で決まるというのに内申点が著しく低かったので、ほぼ満点の当日点をとったと推測できる。
けれど、入学式当日からコロナで長期休校。
そのスケジュールの遅れをどうにか調整するように6月からの異常なまでの忙しさ。
もともと変化に弱く、周囲に気を遣う息子は疲れ果て、3学期を迎えるころには登校できなくなり、そのまま休学。
本来なら2年生を終わる3月に自主退学の形をとった。

休学中の一年はほぼ寝たきり。通院だけが外出の療養の日々。
18歳になる歳の6月に高卒認定試験をさらりと合格したけれど、そこからは紆余曲折の日々。

今年度、浪人生という立場で共通テストを受けた。
一年間、一度も予備校に出席できず、模試も一度しか受けられず(体調が悪くなって途中退席ばかり)、共通テストを受けられるのだろうかと思っていたのだが、全科目受験してくれた。
結果としては近所の国立大に出願できるほどの点数だった。
が。
「通えないのに受けるのは」と出願を拒否。

その選択が、私には消化できなかった。
小学校入学前から「ああ、この子は勉強に困ることのない子だ」と思っていたけれど、それは本当にその通りで、理解は早いし記憶は確かだし応用力もあるものだから、苦も無く旧帝大に通いそうなやつだなとずっと思っていた。
けれど、私が元夫に怒鳴られているような環境で育ててしまったし、離婚しようとしても難癖付けて調停と裁判で5年以上かかってしまい、その間に私の精神も健康も蝕まれていくという日々が彼の中高生の両親の姿になってしまった。
私は、息子に良い環境を与えられなかった。その後悔と不甲斐なさがとてつもなく強く大きく、息子の選択は私のせいのような気がして仕方がなかったのだ。

その暗澹たる気持ちを吹き飛ばしたのは、子どもたちが生まれた時から知っている私の友人の一言。
「息子はさ、いい環境を与えたって行きたくなければ東大合格だって蹴るようなやつだよね」
と。
本当にその通りだ。
高校だって、家から近い進学校があるのに、誰もがそこを勧めたのに自分で違う高校を選んだし、塾も中学校時代に自分で「辞める」といって辞めてしまったこともあった。
言っても聞かない。そういうやつだ。
高校を退学して障碍者手帳を取得するまでになったけれど、高卒認定を受けたり友人たちと遊んだり、やりたいことを少しずつやってはいるのだ。
やりたくないこと、自分にとって遂行不可能なこと、出来るけれど負荷が大きいものは避けているだけに過ぎない。
息子はちゃんと自分のことを理解して、人生を洗濯しているのに過ぎない。
私は「東大生の母」とか「京大生の母」になりたいわけではなく、「自分で自分のことを決める力のある子を見守る人」になりたいのだから、これで何一つ間違っていないのだ。

ようやく、息子の受験を咀嚼して、私は少し子離れをした。
あの時ああしていればよかったという後悔は山ほどあるけれど、この先の不安も山ほどあるけれど、今はこれでいいかと、そう思うのもありなのだと思う。
そうして、そのうちに前に進めているのだろう。

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