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親の機嫌取りをしていたことに、気づかなかった人生

私は、いつかメンタルをやられて心療内科のお世話になるだろうと、確信のように思ってた。

具体的にはうつ病になるだろうと想像していた。
でもそのときはなかなか訪れなかった。対人で辛いことはたくさんあったし、不眠も経験した。不安で下痢にもなるが、だがそれでも立ち上がれないような事態にならなかった。

『私は経験を積んで強くなったんだ、諦めずに努力して良かった!』
そんなふうに思えた瞬間は、実は1度もない。
まだ全然何もかも足りなくて結果も出せなくて、ささいなことで傷つき涙が出るほど落ち込んでしまう。

アラフォーになっても変わらなかった。

10代が一番苦しく長く、20代は苦しく、30代で苦しさは薄れてきた。
足掻いたなりに身に着けた技術で少しだけ余裕ができて、すると今度は次々と違和感をかんじるようになった。
結婚に過度な期待をしていた。こんな私でも結婚したら一般的なメンタルになれるんじゃないかと思ったのだ。
結婚しても私は何ひとつ変わらなかった。

根本的に私になにかあるのだろうと、再び情報収集を始め、ようやく心療内科にも行ってみた。
その結果、私なりにこれだろうという、辻褄の合う結論がでた。
それは私が認めたくないもので、だからこそ自分に当てはめて考えたこともなかった。きっと私にとって都合が悪いからなんだろう。

考えるのも嫌だし、自分が感情的になるのがわかる。涙が出てくる。疲弊する。
避けていたのだと気付いて、より信憑性が増してしまった。

親に複雑な感情があるのは自覚していた。ただ世間で言われるようないわゆる「毒親」ではない。暴力はなくもなかったが、数回だった。(おそらくは当時の躾といわれる範疇のものだろうと思うが)

表題にもあるように、私は親の機嫌取りをしていたことに自分で気付いていなかった。
親を気遣うのはあたりまえだし、育ててくれたのだから感謝するのは普通のこと。できるだけ迷惑をかけないように、怒らせないように、失望させないように。
そして「それなりに仲がいい親子」だと思っていた。

私は、こんな娘で申し訳ないとずっと感じている。もっと勉強ができたら、もっと女性としてモテたら、もっと明るく社交的だったら、もっと仕事ができたら、もっとお金を稼げたら。少しは親が満足してくれるだろうに私はそのどれも叶えられない。だから申し訳ない。
上記のことがあるから、私はせめて親に優しくしないといけないと思っている。義務というよりも、そうしないと私には価値がないのだと。

こういう気持ちを世の中の多くの人が持っているわけではないと気付いたのは、つい最近だ。人に本音で相談できるようになったのはここ数年で、それまで言葉に出したこともなかった。

私は複雑性PTSD+回避性愛着障害なんだと思う。
感情抑圧は小学生低学年から。反抗期はなし。

大きな原因は、
幼少時父親からの短期的な暴力(当時は躾と言われていたもの)+長期的な言葉による人格否定 心理的支配
夫婦喧嘩後の、母親からの受動的攻撃(無視)
冗談で言われていた「死ね」などの言葉の投げかけ。

こう書いても、ちょっと厳しい親だなという感覚でしかない。
こんなふうに悪く書くことに罪悪感もある。
この私の意見がすでに矛盾している。

私はそこそこ普通の環境で育ててもらったと思っているし、愛情も貰ったと思っている。家族仲も良かった、と思っている。この気持ちがあったから、いままで疑う気ににもなれなかった。

躾という名の暴力は、そういう時代だったのだろうと思う。
同じ環境で育って全然トラウマなんて追ってない人間もいる。ほかの兄弟がそうだったため、私は余計に自分がおかしいのだと思いこんで、自分が治さなくてはと思った。
だからこそ、親から精神的虐待されたなんて、この最近まで考えたこともなかった。

自己診断で恐縮だが、今の状態でとてもカウンセリングに耐えられるとは思えないので、しばらく備忘録として書き留めたい。
幸い、私はいま親と離れて暮らしているし、回復の途中にある。

複雑性PTSDの情報を探しても、回復経過への実体験が書かれたものがあまり見つからなかったので、少しでも情報源になれたらとの思いもある。のちのちカウンセリングを受けることなった時にも便利だろう。

私のやっていたことは親への感謝ではなく、親に見捨てられたくないという気持からの必死の機嫌取りだった。
そう認めるのは本当に苦痛です。だけど、これを認めないと私はこの先もずっと親に対して苦しみ続けるんだろう。どちらにしても苦しむのなら、少しでも建設的な方をとりたい。




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