神などいないと思った3.11【第5話】


あの日から時間が止まったまま、日々、実家の片づけをして2週間位経ったころ、友人の置き手紙とたばこが実家に置いてあった。

幼いころから仲のいい友人からだ。

素直に嬉しかった。震災後、誰とも連絡は取れてはいなかったので「生きていたんだ」という安堵感を感じた。

自分のことで精一杯だったことに気付いたのは、その時だった。

お礼を言いに、ジュースを買い行ったが、友人は留守だった。袋を友人の家のドアノブにかけ、帰る事にした。

人づてに聞いた話では、友人は「津波で姉をなくした」という話を聞いた。

そんな状況の中、家にまで足を運んでくれたことに深く感謝した。

この頃、私は、人の妬み、悲しみ、憎悪など、マイナスな事ばかりが目に入ってきていたため、「優しさ」に触れたのは久々だった。

私の小さな町では、「被害を受けたもの」と「被害が無かったもの」の間で差別や妬みじみた出来事が多々あった。

勿論、中には心優しい人もいたが、私の心理状況では、マイナスの部分が大きく目に映ってしまっていた。

例えば、公民館などで支給される「救援物資」。

「皆が平等に支給させるべきもの」のはずだし、「支給されたもの」だと思っているかもしれない。

でも、現実はそんなことは無い。

支給される人の間では、「あの人は家があるのに、なんで?」とか「避難所の人が優先でしょ?」などと、同じ被災者どうし、罵るかのような出来事があったのは事実だ。

「そんなこと言われるから行かない」と母は、支給に参加していなかった。

皆、自分だけで必死なのは理解できるが、支援してくださる人や実際に現場にきてボランティア活動をしていただいている人は、どう思うだろうか?

被災した同士がそれでは、支援する気も起きなくなるのではないか?

窮地に立った時、人は選択を迫られる。それがその人の本性なのかもしれないと、その時、思った。

【第6話】に続く。


ここで、私が知る限りの「震災の出来事」を述べておきたいと思う。

これは、私の知り合い、弟の友人、近所の人達の話である。

その方々の、人生の少しでも後世に残せればと思い、書いていく。


その人は、俗に言う「悪党」である。

決して、褒められるような事をしてきた人ではない。

彼は、震災当日、彼女の実家の近くにいた。

そして、地震が来て、すぐに友人に電話をした。

友人との電話の最中、急に電話が切れてしまう。

電話が切れた原因は、「津波」が来たことに気付いたから。

彼は、軽自動車で彼女を乗せ、実家に向かう途中に、彼女の両親を発見する。

彼は、車を降り、彼女の両親を乗せた。そして、避難途中の老人をできるだけ詰め込んだそうだ。

彼は、「走って避難する」と言って車には乗らなかった。

実際、走って助かる距離では無かったという話だ。

車は、数メートル走って止まった。車から彼女だけが降りてきた。

彼女は、彼と離れるのが嫌だったのだろう。

そして、津波で彼らは死んでしまった。遺体が見つかった時、彼の手は、彼女の腕を強くつかんで離さないまま、見つかった。

彼女を守る様に、彼の顔や体は、誰だか分からないくらいひどい状態だったそうだ。

なぜ、彼と判別できたかというと、皮膚に特徴的な刺青があったため判別できたという話だった。

彼女だけは、キレイなままだった。

身を挺して、彼は彼女を守ろうとしたのだ。


私のお世話になった知り合いの話。

彼は、地震直後、家に仕事の話できていた。

地震が起きてすぐに、彼は、20キロは離れている家に向かった。

何とか、津波が到達する前に高台に避難できたが、母がいなことに気付き迎えにいった。

そのタイミングで津波が襲ってきた。

彼は、家から数十メートル先で、見つかった。

顔は、腫れ上がっていて、肺には砂が沢山入っていたそうだ。

戻って亡くなった人の話は、多く聞いた。


最後にお話するのは、震災後、数年後に亡くなった人の悲しい話。

彼は、一番初めにお話した彼の電話相手。

彼は、結婚していた。

津波で妻とおなかの中にいた「新しい命」を同時に亡くしてしまっていた。

妻は行方不明のままになっていた。

でも、彼は、周りに平然を装って、生活を続けていた。

妻の捜索を続けながら、周りに悟られないように生活をしていた。

そして、数年後にやっと、妻の一部が見つかったのです。

彼は、その後、遺書を残して旅立ちました。

誰にも言わず、遺書だけを残して。

遺書には、震えた字でこんなことが書かれていた。

「妻が見つかったから、俺もあっちに行くわ。」

その遺書には、涙の痕もあったそう。


彼らのご冥福をお祈り申し上げます。そして、あっちの世界があるのなら、幸せに、楽しく過ごしていることを願うばかりです。


行方不明者数、死亡者数、関連死の数だけこんなにも悲しい出来事がある事を決して忘れてはいけない。

忘れない事、思うことは、どんな人もできるはず。

そして、経験した人も、発信することが大切だと思うのです。







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