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ティーパック

私はティーパックでお茶を入れるたびに思うのですが…ティーパックを見たら…千利休はなんというのでしょうか…

千利休といえば商人から茶聖と称せられるまでになった茶人であり、天下人豊臣秀吉の側近という面も持っておりました…百姓から関白にまで上り詰めた秀吉とは光と影のようなものを感じます…

ある時、千利休は朝顔が美しいので茶会に来ませんか??と秀吉を誘いました…朝顔が沢山咲き誇る庭を眺めて飲む茶を楽しみに利休の屋敷にやってきたのですが利休の庭の朝顔は全て刈り取られていました…
秀吉はがっかりして茶室に入ると茶室の床の間にたった一輪の朝顔が植えられていたのです…
たったの一輪…いや、一輪であるが故に花の美しさがとても際立っていたのでした…
秀吉は利休の美学に感服したのでした…

信長は茶の湯を政治に利用し、のちに秀吉に引き継がれ御茶湯御政道と呼ばれるようになりますが…良い茶器を持っていることは武士のステータスでありました。
ダサい茶器を持ってくるなどセレブのパーティーに軽自動車で乗りつけるようなもの…また茶会に呼ばれるだけでも名誉のあることでした…
戦争の恩賞に土地をあげなくても信長がブランディングした茶器をあげることで恩賞としたのですが、千利休は適当な茶器にもこの茶器は名器です…とブランディングに協力しましたが、先のエピソードにもあるように段々と考え方を変えていったようです。

秀吉は豪華絢爛な茶会が好きでしたが、千利休は黒の漆器が一番いいのだと、まだガソリン車全盛の時代に電気自動車で乗りつけるような考え方で独自ブランドを展開…セレブたちは度肝を抜かれてしまったのです…

しかし、利休は時代の先をいってしまったのでしょうか…もともと仲の良かった秀吉に武士でもないのに切腹を命じられます…その理由は未だに分かっていないのですが侘び茶という質素なお茶スタイルを求める利休と豪華絢爛なお茶会をしたい秀吉と反りが合わなくなったのでしょう…

私は悪い大人なので千利休はスタイリッシュで簡素な茶の形式を広めることでより庶民層へとパイを広げようと考えたのではないかなと思っていて…お茶を政治的に利用したい秀吉からすると政治の相談役にもなっていた利休は邪魔な存在となったのではないでしょうか。

千利休の辞世の句をご紹介します

人生七十 力囲希咄 吾這寶剣 祖佛共殺 堤る我得具足の一太刀 今此時ぞ天に抛

人生70年、えいっ、くそ〜これで終わりじゃー!!
私が持つ宝剣で先祖も仏も一緒に死んでやるわぁー!!
上手に使えるこの武器で命をたって天国いきまーす!!

みたいな感じでしょうか…ちょっと難解で訳があっているのか、何が言いたいのかよくわかりませんが…

話をティーパックに戻しましょう…
ある冬の日、摂津の親しい茶人の家に立ち寄りました。
急な来客にもかかわらず邸内は手入れが行き届き主人は庭に生えた柚子を取ってきて柚子味噌をもてなしました。
突然の客をうまくもてなす主人の嗜好を喜んだ利休ですが…
日持ちのしないカマボコが出てきた瞬間に自分が今日、近くに立ち寄ることを知っていたんだと見抜き興醒めしました…
主人は利休が近くに立ち寄ることを知っていて手際の良さを見せたいがために見栄を張っていたのです…
今ではカマボコなど冷蔵庫で日持ちしますが…当時は日持ちしない高級品でした…

私たちも利休の侘び茶に学んで見栄を張る必要はないですが、突然の来客をもてなせるようにちょっとだけ高いティーパックでお茶を飲むことを楽しんではいかがでしょうか…
良いお茶を飲み特別なことをしなくても工夫を凝らし、もてなそうという気持ちが伝わればあなたの印象もグッと良くなることでしょう…

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