超短編小説『鼻毛スイッチ』

俺は今、かつてないほどのすがすがしい気分に満たされている。

これを特殊能力と言わずなんと言おう。心の大きな空白を埋める力を手に入れたのだ。いや、そんな小さな話ではおさまらない。

俺が、この俺が世界を変えられるのだ。

ことの顛末はこうだ。

数時間前・・・

真夜中。俺はベットに横たわり、相変わらず眠れずに天井をぼんやり眺めていた。

不眠が俺を腐らせていくのか、腐っていく過程で不眠症になったのか、もはやわからない。

あー、睡魔というものに襲われてみたい。深くため息をついた。

すると鼻下がこそばゆくなった。何かがさわさわと当たる。

暗闇の中、手探りで確かめた。

鼻毛が一本出ていた。容易につまめるくらいはなはだしく出ていた。

そういえばしばらく鏡をまともに見ていなかったな、と気づいた。

どうしようもない自分の間抜け面と向き合うことを無意識のうちに避けていたのだ。

まったくどうしようもない奴だ。自嘲しながら鼻毛を抜こうと引っ張った。

うッ! 鼻の奥に強烈な痛みが走った。しかし抜けた感じがしない。

もう一度手探りで確かめる。まだ残っている。

俺はいらつきながら、覚悟を決めて、さらに強く引っ張った。

猛烈な痛み。しかし抜けない。

いや、抜けていないどころか、鼻毛はさらに飛び出てきた。

引っ張って鼻毛が伸びるなんて話聞いたことない。

痛みに耐えながら、何度かチャレンジした。

しかし、その分、鼻毛がさらに長く飛び出してしまった。

もはやエクステレベルだ。

腹が立って、もう一度全力で引っ張ろうと思って手を止めた。

切ればいいのだ。

はなからそうすればよかったのだ。

鼻毛ごときにムキになることはない。

起き上がり、ハサミを手にした。

左手で鼻毛をピンと張り、右手のハサミで切ろうとしたが、暗くて危険だ。

部屋の照明を点けよう、と思ったその時だった。

カチッという乾いた音が頭に響き、同時に部屋の照明が点き、明るくなった。

俺は狐につままれた思いで、鼻毛をつまむ。軽く下に引っ張ってみる。

カチッと音がして、今度は照明が消えた。

鼻毛を引っ張る度に部屋の照明がついたり消えたりした。

俺は夢中になって何度も繰り返した。

鼻血がうっすらと垂れてきていることにも気づかずに、体の奥底から湧き出てくる高揚感に笑いがとまらなかった。

窓を開け、街灯にも試してみた。オン・オフ。

すごいぞ、俺!!! どうやら鼻毛で照明をコントロールできるらしい。

気づけば夜明け間近だった。

街灯を点けたり消したりして、新聞配達のお兄さんを驚かせてから、眠りについた。

目覚めたら、この能力で何をしてやろうかとほくそ笑みながら。

という事の次第で、今の俺は久しぶりの安眠を楽しみ、心身ともに充実している。

さあ、街に出て何をしてやろう。俺はもはや特別な人間なのだ。

俺は、飛び出た鼻毛を隠すためマスクをして街に出て、実験を繰り返した。

マスクに手を突っ込み、鼻毛を引っ張る。

街灯を点けたり消したりはもちろん、電気屋の照明コーナーでは店員を慌てさせてやった。

調子にのった俺は、東京タワーを点滅させたり、プロ野球のナイター戦を中止にしてやったりもした。熟達してきた俺は、しまいには、オフィス街のビル群の窓を使って、マリオを再現してニュースになった。

この鼻毛一本で俺は世界をコントロールできる。

さあ新しい人生だ。さあ俺を蔑んできたこの社会への復讐だ。

マスクの裏で高笑いをした。

しかし、数日して、俺は虚しい気持ちに襲われた。

調子にのって信号機の明かりを点けたり消したりするうちに、

事故が起きてしまったのだ。

幸い人が怪我するほどではなかったが、後ろめたい気持ちでいっぱいになった。

俺の復讐とはこんなことなのか・・・違うだろ・・・

しかも、鼻毛スイッチをやりすぎて、鼻の奥が炎症して常時痛い。

俺はいっそこの鼻毛を切って、もとの暗闇の世界に戻ろう、そう思った。

しかし、出来なかった。もう戻りたくはない。

そうだ、人助けだ。

この神から授かった鼻毛を人助けのために使おう。

かつての俺のように闇を抱えている人々の心に明かりを灯してあげよう。

俺はマスクを取り、鼻毛を風になびかせながら、鼻息荒く家を出た。


― おしまい ―

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#短編 #ナンセンス #シュール

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