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木漏れ日と母のコーヒーカップ


片付けをしていて出てきた母のもの。
パリの骨董市にありそうな存在感を感じて
綺麗に磨いて、私の傍に連れて帰ってきた。


母は私から見ると、ひどく自己犠牲的に見えていて、自分自身のために生きてほしい、とよく伝えていたけれど

手紙や写真、洋服、着物、書道作品、レコード、絵画など、年に数回ずつ、遺品を少しずつ片付けてきて、いろいろと楽しい生き方してきたこと、恋もいろいろしていたことなど、人生を楽しむ華やかな母のイメージがやっと戻ってきた。


幸せだったかどうかなんて何回考えても私にはわからないけれど、遺品整理をしていくことで、母の人生のなかに散らばる辛さを、華やかさが重厚に包み込んでいるように感じられるようになった。

このコーヒーカップ、どんな部屋で、何を想って使っていたんだろう。
木漏れ日の入る部屋で、ショパンやシャンソンのレコードを聴きながら、油絵を描きながら、コーヒーを飲んでいたのかな、などと思いながらカップを眺める夕暮れ。


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