キャッチボールにバットを持ち出す人たち

コロナの感染者が増え続ける中、そんな状況にもかかわらず人込みに紛れて出社している。
きっとこれは生存者バイアスだとか、よく調べていないけど自分は大丈夫とかそんなやつなのだろう。

コロナ禍の中でも生活は続く、うちの会社でも一緒だ。
ボンクラプランナーとして勤める会社先では、テレワークでやれ働き方改革だといわれてもどこ吹く風で、一年前に起きたようなトラブルが一年後の今また起きる、インデペンデンスデイのように困難に立ち向かうため一致団結等起きるわけもない、現実は非情である。

どこの会社でも一緒だと思うが、会社で働くということはチームで働くということだ。どう無頼派の山岡士郎気取ってもその前提自体は変わらない。持ちつ持たれつのブルースブラザーズである。

さて、チームプレーといってもうちはどうだろう、ゲーム会社であるため、ほんの一ミリでも「俺はクリエイター様だ」という意識を持ってないやつはいない。当然だ、でなきゃ別の仕事の口は色々ある。かく言う自分も拗ねた無頼派気取っているがその意識はある。
しかし会社員をやっている時点でゲーム会社に勤めているといっても「クリエイター」よりまずは会社員だ。クリエイターであるという自負は最低限の矜持としてはもちろん持っておいた方がいい。繰り返すがそうじゃなきゃもっとマシな給料出るゲーム業界以外の会社に行く。しかしそれでも世に言うクリエイター様になる度胸や技量がないからリーマンやってんだろという意識を謙虚さ(?)として持っといた方がいいと思うのだ。

これはオリンピックの開会式にまつわるゴタゴタを見て、その広告会社の連中の体たらくを見て認識を強くしたところだ。
イケイケの広告会社のクリエイター気取った連中がことごとくあっさり更迭され、その上は利権は手放さない、彼らも会社というトカゲの尻尾でしかなかった。そしてトカゲは儲かればいい、それも当然。俺も金は欲しい。
酷いざまだったが、今自分がいるところの連中とどう違うというのだろう。

さて、ふらふらと無駄に大きな話をいっちょ噛みで独断と偏見で垂れ流したが、早い話がもう少し謙虚になれよ(マネーの虎)、という話につなげていきたいのだ。

ゲームプランナーになる人にはいろんな人がいる。自分みたいに何かクリエイター的なものがしたいけど、全く持って何か武器があったわけでもないのでハッタリで潜り込んだものや、逆に芸術スキルなど武器を持っているのにわざわざプランナーを選んだ奇特な方もいる。
だが、偏見でもって総じていえばデザインもプログラムも出来んけどクリエイター面したいからプランナーになったのだ。そこからシナリオライティングや企画書や仕様書、マネジメント等の武器を後からこさえていくのである。

かくいう自分は現状では消去法でマネジメントといえば聞こえはいいが、どこぞのファーストフードのワンオペ店長的なポジションについている。
西に死にそうなデザイナがいればスケジュールを調整し、北に喧嘩や訴訟があれば「わかるわー」と仲裁する。

そこで社内で行ったり来たりで思ったのがタイトルの
「キャッチボールにバットを持ち込む人たち」だ。

社内調整業務となれば、アイデアよりも、今のプロジェクトをどう回すかについて必然的に意識が行く。無論求められたらアイデアは出せるようにするべきだ。枯れたと自覚していても企画屋を名乗るなら「思いつきません」は絶対に言っちゃいけない。

書いててまた話がそれた。偏見になるが、クリエイター自負故の自我の強さか、それとも会社生活が身についてないのか、問題解決に対して、例えばこちらの投げたボールをキャッチするのでなく、バットをフルスイングして撃ち返してくる人間があまりに多い。もちろんボールは明後日の方向に飛んでいくし、ボールを拾いに行くのはいつも投げた側だ。

「やれやれ、クリエイター様気分が抜けてない新人だからしょうがないな…」とボールを拾ってあげても、ネクストバッターズサークルには僕より年上の人が鼻息荒く素振りをしてたりする。

その人たちに「これはキャッチボールですよ」といっても通じる人はまれだ。なぜなら僕は素手で、彼らは手にバットを持っているからだ。

正直乱闘もやぶさかではないだろうが、
僕としては相手の撃ち返した弾をライナーで受け止めてアウトにしてやれるように技量と、マウンドに立ち続けるスタミナを維持していたいと思うところである。(約59分)

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