テニュアトラック助教を4年間やってみたよ(研究以外のおはなし)


実際には,2019年春に現職へ着任したので,「あとちょっと」で4年間が過ぎようとしている。筑波大学は教員の所属組織,大学院,学部(学類)がそれぞれ分かれているので,理解できるまで2年はかかったと思う(笑)
今回,研究内容のことには触れず,備忘録として,徒然なるままに,この4年間を振り返ってみようと思う。

1. 2019年,着任

確か,7年ぐらいに渡って,面倒を見ていた,父方の祖母を見送って(人生2度目の喪主),第二子が誕生して,それから着任したのだと思う(激動)

この年は,初めてCHI(Human Computer Interactionの国際会議)に参加した年でもあったなぁ(https://chi2019.acm.org/)

Autism Europe Interantional Congress(https://www.autismeurope.org/xii-autism-europe-international-congress-nice-france-2019/)に初めて参加したのもこの年だったなぁ。初めて尽くし。

「博士の学位審査を,学位取得後3年後にやっているとは思っていなかったなぁ」という感想を持っていた気がする。
授業や学務も順当に増加していく中で,グラントも4件ぐらい申請してたから,かなりアクティブだったなぁ(遠い目)。臨床実習の授業を担当できるようになったのは,本当に嬉しかった。
初めての院生指導(1名)が始まって,嬉しかった,というのも今ではいい思い出。

そういえば,母方の祖母もこの年に見送った。午前3時とかに今際の際に立ち会って,午前9時からの会議とかに出てたから,ハードモードしゅごいなぁ。

2. 2020年,研究室スタート

卒論生が4名配属されて,修士課程学生1名と合わせて,合計5名の研究指導が始まった。
第一期の卒論指導に熱意をたぎらせていた(今も継続しているけど)ところ,
そう,COVID-19の幕開けでしたよ。

当時は,こんな記事をnoteに書いたりしていましたね。

いやぁ,しかし,もろもろのオンライン化,頑張りすぎたね。
緊急事態宣言で孤独な中,楽しいわけではない仕事に多くのエフォート割くと,削られることが,振り返るとよく分かる。
学務の増加が著しかったなぁ。

更に,対面での臨床支援研究が,一旦すべてストップしてしまったのは,今でも響く大きな打撃。
萌芽的な海外との共同研究プロジェクトも,この時期からストップしてしまった記憶。コロナよ(泣)

公園とかに行けないから,自宅の庭にお砂場DIYしたのは良い思い出。

確か,この頃までは,1日12時間✕6日ぐらいで稼働できてたと思う。
寝かしつけ後にミーティングして,その後に書き物するとか。

3. 2021年,相変わらずコロナ禍

新たな卒論生4名,修士課程3名,研究生1名,博士課程1名,合計9名だったかなぁ(記憶が曖昧)。
日本語より英語の方が得意な学生が来るようになったから,研究指導をすべて英語でやる時間が増加した。

ゼミをZoomで実施するメリットを最大限活用して,他大学も含めて,いろいろな所属の人々が参加してくれたなぁ。参加者の半分以上がゼミ生以外,ということもあった。

授業動画の撮影をやったりもしたなぁ(ろくろ回してる笑)。
コロナ禍に髪を伸ばして念願のお団子ヘアにしたけど,不評だった。。

相変わらず,断続的に緊急事態宣言が発令される中,なんやかやとやりくりしたり,オンライン化しながら研究をすすめる。

師匠である,慶應義塾大学の山本淳一先生が退官されたのがこの年度。

そして相変わらず増え続ける様々なお仕事。

4. 2022年,もうコロナ禍前には戻れない

修士課程6名,博士課程2名,合計8名でスタート。
対面でのインタラクションが取り戻され始め,
留学生はやっとこさ日本に入国できた(良かった!)。

でも,オンラインで失われていた,偶発的かつ瞬間的なコミュニケーションの代償は,いまだに大きいと思われる。

「対面でインタラクションが継続できていたら,こんなことにはならなかったはずなのに…」ということを数多く実感する。
当然,対面よりもオンラインの方が,利便性高いなぁ,という場面も多々あるんだけどね。

国際会議への現地参加も再開し始めて,

①ダブリン

②プラハ

やっと,念願だった,「大学院生を国際学会へ連れて行く」を実現できたのは良かった。
(ただ,ロシアのウクライナ侵攻により,中東ルートからしかヨーロッパ行けない+サーチャージ鬼高かった)

そして,2022年春頃から,これまでの無理がたたり,体調を崩し始めた(でも今,振り返ってみると,2021年頃から実は怪しい)。現在は周囲の援助を受けながら,細く短く働きつつ,回復に努めています。

5. まとめ:4年間で学んだこと,そしてこれから

まとまりのない振り返りだったが,
その中でも,4年間で得た気づきを書く。

  1. 仕事は無限にある
    授業準備,授業,採点….
    個別面談,添削,予算管理,発注,納品….
    会議,資料作成,日程調整….
    学会委員会,プログラム構成,イベント運営…
    会議,資料作成,会議…
    プロジェクト会議,研究準備,研究実施…
    査読,執筆,講演….

    大学教員になると,本当に仕事が無限!
    いくら時間があっても足りない!早くお金で解決したい!
    研究のポジションとしては完全にマネージャーになってくる。
    プレーヤーとして動くためには,身を削るしかなくなる。

  2. エフォート管理は自分にしかできない
    大学教員は裁量労働制なんだけれども,みんな,働きまくっている。学務や授業担当は別として,研究指導や研究実施,研究費の申請や学会関連のタスク,講演や執筆は,労働時間に含まれないからだ。しかも,独立性が非常に高いので,「誰が,どれくらい,何に時間を費やしているのか」を正確に把握できているのは自分しかいない。

    困ったら,周囲に援助を要請するのが一番(忘れがち)。
    そして,その中で自分が最も強化されやすい仕事を,(できるだけ)優先的にやっていくしかない。

    全方位,全力でやるには,人生短すぎるぜ。

  3. 体調を崩してまでやるべき仕事はない
    研究界隈では,「あなた,いつ寝てるんですか?」「それだけの生産性,どうやったら出せるんですか?」という人々をよく見かける(多分,よく目につくからだろう)。

    僕の周囲にもそういう,「超人」という印象を与える人々が多くて,何とか追いかけよう,としてしまっていた。

    しかし,20代の(比較的)健康な身体と,研究中心の生活だから成り立っていたスケジュールの詰め込み方が,30半ばには辛くなっていたことに最近気付いた。

    体調を崩したらパフォーマンスは下がる。そして,今までは1週間で回復していたダメージは,1ヶ月,数ヶ月とかかるようになっていく。だったら,休んだ方がいい。無理のないスケジュールにした方が良い。研究を長く続けたいなら,体調を最優先にすべきということ,この年にして初めて気付いた(笑)

  4. 教育を通じて,自分が学ぶ・成長する
    やっぱり,多様性あふれる学生たちの反応から学ぶことは,とっても多い。教えることは,学ぶこと。

    みんな,ありがとう。
    (最後はなんか,いい感じにまとめたかった笑)

ということで,来年もよろしくお願いします!

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