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現役幼稚園教諭のシンプルライフ 〜私の立ち位置〜

今回のテーマは、「立ち位置」です。

立ち位置・・と聞くと何を思い浮かべますか??

立っている位置

舞台上等のセッティング的な立ち位置

はたまた、社会的に対人関係を考慮した立ち位置・・・

同じ言葉でも捉え方によって様々な意味を持つ立ち位置・・・


今回私が思う立ち位置の「立つ」場所は・・・

「現実世界」と「仮想世界」です。

どっちに立っていますか??

・・・と聞かれれば

迷わず「現実世界」と答えます。

しかしながら、この二つはどう違うのでしょう・・・


こんな疑問は、おかしいですかね??

仮想はバーチャルであって、現実はリアル。


手に取って触れる事が出来るものリアルで
それ以外がバーチャル・・・

本当にその線引きでよろしいのでしょうか??


「大切なものは目には見えない」と有名な言葉があるように

現実世界の中にも、目には見えないものを尊く思う価値観は存在します。

目に見えないものをバーチャルとするのならば、

VR技術で視覚に訴えるものはリアルになり得ますか??


・・・違和感を覚えます。


何が違うのか・・・・


その境目が曖昧になってきた今だからこそ

何が違うのかを知りたくなっています。


私たちは子どもたちに何をリアルとして教えていけばいいのでしょう・・・

VRで南国の島へ・・


どこでもドアを手に入れたようでいいですよね


VRを使って城壁の再現を

タイムマシンのようでいいですよね

遠い親戚とリアルタイムにお話しすることもできます。

技術の進歩によって
私が学生だった時よりも歴史や遠い地が身近に感じられる時代になってきています

バーチャルもリアルなのでしょうか???


フェイクとバーチャルの違いを考えるべきなのでしょうか・・・


今宵の満月が本物だと証明するものは何でしょう・・・


考えれば考えるほどわからなくなってきて

子ども達と何が違うのかとことん話し合ってみたくなりました。


皆さんはどう考えますか??

★後日追記★

何が引っかかってるかわかった!


…引っかかっていたのは
私だけかもしれませんが。。

バーチャル世界がイマイチ理解できないのです。

引っかかっているのは

自分で自分の気持ちや思考すらわからないのに、
AI技術の進歩で
そこだけ切り取られて
永遠に生き続けるってどうなの?

って、ところです。

理論上、
徳川家康ともお友達になれるけれども
アバターとして生きながらえている徳川家康はその瞬間を切り取った点でしかないって事で

つまり、

何が言いたいかと言うと

鳴かぬなら鳴くまで待とう

なんて言ったわけでもないのに

仮想現実の世界では


鳴くまで待とうの人だー

みたいな感じで言われ


え?俺?みたいな。。

アバターの思考修正は効くのか?

も疑問だし

他人に勘違いされたら
その世界を止めればいいとか?

もぅ
わけわからないのです。


仮想現実とか
外に目を向ける前に
頭の中を具現化出来て
自分と対峙できるモノがほしいな。


と思うのです。


ライター:あっち
どんな時も自分軸を感じながら、しなやかに軽やかに朗らかに。
どんな自分でもありのまま。
回り道をしてありのままに帰っていくのも悪くないけれど
最初からそのままならば、もっと楽しい広がりがあるのかもしれない
そんな思いから、今を生きる子どもたちと出来る事を模索中。



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