見出し画像

イジメは犯罪なのかを考える|小山田圭吾氏を断罪できるのか?

※イジメ行為に関する具体的な表現も出てきますのでご注意ください。


2021年7月、東京五輪開閉会式のクリエイティブチームが次々と辞任や解任に追い込まれた。

小山田圭吾氏は過去のいじめ経験を雑誌に語っていたことがネットで炎上し、謝罪→音楽担当続行→さらに炎上→辞任となった。

その意見の中で小山田氏は犯罪者のように言われている。

果たして小山田氏の過去のいじめを第三者が犯罪だと断罪することができるのか検証していこうと思う。

まず答えを出しておくと、イジメ問題を第三者が犯罪ということはできない。

その理由を説明していく。


イジメは犯罪なのかを考える

子供の成長段階において他人と人間関係を形成していく中で、イジメは非常に起こりやすい。

他の人と違う行動や考えを排除したがるのは人間の習性ともいえる。

そういうことから、子供のイジメ行為を安易に「犯罪だ」とはいうことは非常に危険であり、間違った別の問題が生じやすい。

あまりに厳しすぎると、江戸時代の「生類憐れみの令」のように悪法となってしまう。
生類憐れみの令の極端な例でいうと「ツバメを捕獲して5歳児の病気養生に食べさせたことで死刑になった」という記録も残っているそうだ。


子供時代に起こってしまいやすいイジメを極刑にしてしまうと、厳罰の方が重くなってしまう可能性が高い。

とはいえ、世の中には限度を超えたいじめが存在するのも事実です。

線引きはいったいどこにあるのか?


ネットで「イジメ 犯罪」と検索すると手がかりになる記事がいくつも出てくる。

いくつかの記事を読んだ上でイジメ問題を考察してみた。

3種類ある法律上の「いじめ」

わかりやすく解説されているのが次の記事だ。

(2021年5月15日)

3種類ある法律上の「いじめ」
①いじめ防止対策推進法上の「いじめ」
②民事上の損害賠償責任が成立する「いじめ」
③犯罪に該当する「いじめ」
いじめが成立する範囲としては、「①>②>③」の順になります。
結論から言えば、法律上は「全てのいじめが犯罪ではなく、いじめの中には犯罪に該当するいじめも含まれる」ということになります。

イジメには3段階に分けられ犯罪に該当するのはレベル3ということになる。

いじめ防止対策推進法上の「いじめ」
この法律でいじめが成立する要件はたった2つです。
(a)小学校、中学校、高等学校、中等教育学校及び特別支援学校に在籍する児童生徒に対して、一定の人的関係にある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える「行為」
(b)当該行為の対象となった児童生徒が「心身の苦痛を感じているもの

心理的・物理的に苦痛を感じるものはイジメといえる。


「行為」の存在と、被害者の「気持ち(心身の苦痛)」さえ確認すれば、いじめの有無は確認できるのです。
加害者の気持ちがどうとか、一般人がどう思っているとかは、少なくともいじめ防止対策推進法のいじめの成否には全く影響しないのです。


いじめであったかどうかは、当事者同士、特に被害者がどう思っているかの確認が重要になる。

太字のところをヒントに考えると、イジメを第三者が主観で「あれはイジメだ」と断定することはできないといえます。

ネットで事実が不確かないじめ問題を主観的に断罪することは、加害者と被害者の気持ちを考えると慎重にしなければならない。

勝手な解釈で情報以上に過度に表現することは避けた方が無難である。


では犯罪といえるイジメはどのようなものなのか?

犯罪に該当する「いじめ」と重大事態
犯罪に該当するいじめとはどのようなものでしょうか(厳密には、犯罪が成立するのは14歳以上の者で、14歳未満の者が犯罪に該当する行為をすれば触法少年として少年法上は別に扱われます)。
典型的なものは、暴行、脅迫、傷害、強要、名誉棄損、性犯罪といった犯罪に該当するいじめです。物理的・身体的ないじめは犯罪に該当しやすいでしょう(もっとも、後述するように、実際には加害者をどのように判断するかは非常に難しいです)。
しかし、「無視」「シカト」「LINE外し」など、心理的・精神的ないじめを直ちに犯罪と判断するのは非常に困難です。

暴行、脅迫、傷害、強要、名誉棄損、性犯罪といった犯罪に該当するいじめ
であるとされています。

過度なプロレスごっこなどは、場合によっては犯罪になる場合があるかと思います。

誤って怪我を負わせた場合は傷害罪になるケースも考えられます。


小山田圭吾氏を断罪できるのか?

ロッキンオンジャパン1994年1月号で、小山田圭吾氏のイジメ経験が30ページにわたり語られている。

このイジメに関する記事がまた一癖あって、当時のロッキンオンジャパン(ROJ)は編集長の山崎洋一郎氏の独裁状態だたっと言う。

当時の山崎氏のコラムにはこのような言葉も掲載されており、改めて読むと非常に危険な思想であるように感じる。

どうせ小っちゃいんだ、何をやろうが誰も気にせんだろう。何だか久々に犯罪者のような気分である。
山崎洋一郎(ROCKIN'ON JAPAN (ロッキング・オン・ジャパン) 1993年 12月号)


当時のROJは、発売前のアーティスト側の原稿チェックが行われないまま発売されていたそうだ。

こういう当時の背景から、ロッキンオンジャパン1994年1月号の小山田圭吾氏のインタビューの内容は不透明な部分が多く、事実とは異なる可能性が非常に高い。

2021年7月16日の小山田氏の謝罪文にもそのことに触れている。

学生時代、そしてインタビュー当時の私は、被害者である方々の気持ちを想像することができない、非常に未熟な人間であったと思います。
記事の内容につきましては、発売前の原稿確認ができなかったこともあり、事実と異なる内容も多く記載されておりますが、学生当時、私の発言や行為によってクラスメイトを傷付けたことは間違いなく、その自覚もあったため、自己責任であると感じ、誤った内容や誇張への指摘をせず、当時はそのまま静観するという判断に至っておりました。

ROJが発売された1994年当時は、小山田氏には加害者意識があり、自分がやっていない内容も詳細に指摘することなく静観したようです。

こう言うような経緯を考えると、小山田氏の過去のイジメは非常にグレーであり判断が難しい。

ましてや今から30年以上前のことを検証するのは難しい。

イジメの事実が不透明な場合、勝手に第三者が「日常的に拷問を行っていた」などと表現することは許されないのではないでしょうか?

イジメ問題を取り上げるにしても事実を強調すると、ライター自身が加害者になりかねない。

ネットでは一般人・著名人に関わらず偏向したおかしな言及が続いている。

「悪いのはあいつだから叩かれて当然」

こういう考えで第三者を断罪する行為は、自分が加害者である認識がないイジメそのものではないかと思う。

こうしたネットの背景と心理が、加害者を攻撃する新たな加害者を生み出しているというのが現状だ。

事実を確認できない段階で、第三者の勝手な決めつけや思い込みで、小山田氏を断罪することは誰であってもできない。

今は静観するしかないのだと思う。


小山田氏は謝罪文発表後に世間からさらなる辛辣なバッシングを受け、2021年7月19日に辞任を表明している。

小山田圭吾氏の音楽活動は自粛・停止され、彼が提供した楽曲が使用停止となり各方面で影響が出ている。

小山田氏が参加しているグループMETAFIVEにまで影響が及んでおり、自体は非常に深刻になっている。

小山田圭吾氏と山崎洋一郎氏の両者が、当時の詳細な事情説明を行うのが妥当ではないかと私は考えています。

でないと今後も小山田氏へのバッシングが続く可能性が高い。


METAFIVEの2nd ALBUM「METAATEM」発売再開運動

2020年7月24日に発表されたMETAFIVEの「環境と心理」の作詞・作曲は小山田圭吾氏によるものだ。

雨の後 街は少し静か
足跡や記憶 洗い流して
なんとなく気分がちょっとだけ晴れてく
変化する景色や 環境と心理


METAFIVEの2nd ALBUM「METAATEM」発売中止を受けて、発売再開を求めるネット署名運動が行われており、署名は現在で2500人を超えている。


個人的には小山田圭吾氏の過去の作品が残され、今後も活躍できる場があることを望んでいます。

今後も小山田圭吾氏の未来と、イジメ問題やネットリンチやメディアレイプについて注目していきたい。


記事が役にたったなと思った方はクリエイターを100円からサポートすることができます。