【連載小説】第2話 普通の高校生は人形劇の夢を見る #創作大賞2024#ファンタジー小説部門
第2話 (約3500字)
空には筋のように白い雲が浮かんでいる。目を閉じて両手をぐっと広げて伸びた。日の光が最高に気持ち良い。
朝ご飯が食べられなかった分、昼に取り返したらお腹が満足しすぎて、なんだか眠くなってきた。そもそも昨日は色々あって、なかなか寝付けなかったのだ。ここは欲望に身を任せるのが道理ってもんだろう。
「ねえ、奈那。そろそろ帰らないと、昼休憩終わるよ?」
日向でまどろんでいると、未紀の声で一気に現実世界へと意識が引っ張り上げられる。
「あのさ、あれだあれ。あたし、腹痛で授業が受けらんないって言っといて」
ため息混じりに早口で伝え、手をひらひらさせる。
「だったら、屋上じゃなくて保健室で寝てないと。明らかにサボりだってバレるよ」
あたしは顎が外れんばかりの特大のあくびをして、身体を起こした。このまま寝てしまえばどれほど幸せなことか。でも、後でハゲタンの説教が待っていると思うと、とてもじゃないけど良い夢は見られそうもない。
「オッケー、移動するわ」
目を何度も擦ってゆっくり開くと、呆れ顔の彼女の顔が目の前にあった。
さらさらの黒髪ストレートで、超日本系美人。正月には神主のじーさんの手伝いのために巫女の格好をするんだけど、これが最高に似合う。見た目良し、性格良し、勉強もできる。親友として自慢でもあるしうらやましくもある。
「そんなに見つめなくても、ちゃんと上手く言っておくから、大丈夫だよ」
彼女は肩をすくめて苦笑すると、立ち上がって階段へと向かう。
あたしもそれについて降りて、まっすぐに保健室へと向かった。保健室の扉の前で立ち止まり、右手で強く腹を押さえる。そして腰を少し屈めて顔を強張らせて、小さく唸ってみる。うん、完璧。
保健室へ入り、地獄から響くような声で先生に助けを求めた。先生はあたしの迫真の演技にころりと騙されたらしく、胃薬を飲んでベッドで横になるまで何故か先生の方が泣きそうな顔をして介抱してくれる。
毛布を胸までかけて目を閉じたら、すぐに意識は引っ張られるように深く深く沈んでいった。
気がつくとあたしは暗い廊下の真ん中で立っていた。
校舎の長い廊下の電灯がすべて消えていて、まったく人気もない。窓から外を眺めても風景なんて全く見えなくて、ただ闇で塗りつぶされていた。反対側の、それぞれの教室の扉にあるスリガラスを通して中を窺ってみても、誰もいる気配はない。
何っていうわけではないんだけど、何だか嫌な予感がする。ここにいてはいけない。見つからないうちに、早くこの校舎から出ないといけない。そんなふうにあたしの第六感……いやそれ以上だ。第七感がささやいていた。
足音を立てないように廊下を小走りで進む。ワックスがかかっているらしく、上履きの裏のゴムが擦れるキュッキュッという音が響いた。
ここは、今あたしが通っている高校ではない。だけど、まったく知らないところでもない。見覚えがあるのだ。このまままっすぐに廊下を進むと階段があって、その向こうには隣の棟につながるスロープがあって、廊下の突き当たりには資料室がある。でも、ここがどこだろうと、そんなことはどうだっていい。
あたしは階段を一階まで駆け下りて、少し廊下を進むと、たくさんの下駄箱が並ぶ正面玄関があることを知っている。上履きのままその玄関の扉に手をかけて強く押すのだが、まったく動かない。鍵がかかっていて開かないというよりも、力が足りなくて開かないような。そう、あれだ。微動だにしない、ってやつ。
押してダメなら引いてみな。引いてダメならたたき割ってやる。
でもパンチもキックも全然効いてない。あたしは赤くなった拳をなでながら、息を整える。
この玄関がダメでも、どこか他のところにも出口くらいあるはずだ。歩きながら探してみるか。
大きく息を吐いて、廊下を眺める。向かって左から、あたしは降りてきた。今度は右へ行ってみよう。
ふと、目の端に黒い影が映った。よく見えなかったけど、人影みたいなものではなく、もっと小さな何か。子犬とか子猫とか、それくらいの大きさのものだった。
それが消えていった廊下の右側へと、あたしは駆けだした。しかし、消えたあたりの場所に行っても、それらしい姿は見えない。目の前にあるのは、スロープと階段。突き当たりの部屋に入ったのなら、扉の開閉音が聞こえていたはずだ。階段の手すりの間から上を見てもそれらしい姿はないし、スロープの先は一目瞭然で、いない。
しばらくその場で腕を組み悩んでいたが、スロープを進むことを決意する。二階へ上がっても、例え窓が開いていたって飛び降りるわけにはいかないだろうし。
あたしは真っ暗な窓の外を眺めながら、隣の棟へと移った。こちら側の棟は、保健室と、職員室と、そうだ、職員用玄関がある。長い直線の廊下の中ほどあたりにあるはずだ。
しかし、あたしの目はスロープの正面に位置する部屋の扉に釘付けになった。別に変なわけじゃない。普通の扉だ。ただ、他の教室のようにスリガラスが入っているのではなく、扉の真ん中より上に、アパートの玄関についているポストのような横長の窓が開いていた。
あたしは、あの黒い影はこの部屋に入ったのだと確信した。何故って、あたしの第七感がそう言っているから。
ドアノブに手をかけて、軽く捻って、押す。しかし一〇センチくらい開いたところで、ドアが動かなくなる。その隙間から、ピエロが顔をのぞかせた。真っ白に塗った顔に、目の周りを黒く縁どって、かわいさアピールなのかまつげを上下に二本ずつ書いてある。そして、その目を裂き潰すように、血のような赤で額から頬まで縦に線が入っている。口の周りもタラコ唇なんて生やさしいものじゃなく、裂けているみたいに赤く塗ってあった。
背の高い大人のピエロは、あたしを見るとうれしそうに微笑んで、迎え入れるように扉を開けかけたが、突然驚いたような顔をして、開けるのを止める。
「君はまだオオカミに会っていないね。オオカミの劇を観てからじゃないと、ここには入れないんだよ」
まるで小学生を相手にでもしているみたいに、馬鹿にされているんじゃないかと思うくらいに、口調が優しい。実際、このピエロにはあたしが小学生に見えているのかもしれない。だけど、それはそれで都合が良いと感じた。
あたしは何にも考えていない小学生みたいに、その部屋の中を覗こうとした。ピエロはそのあたしの様子を見て、少しだけ身体をずらして中を見せてくれる。
中には何人かの人がいた。メガネにスーツの偉そうなおじさんや、スレた感じのお姉さんや、内臓がすでにフォアグラになってそうな中学生のオタクっぽい男子。あたしから見えるのはその三人だけど多分他にもいるのだろう。
ただ、いるといっても、その三人は床に這いつくばって、必死で床に転がっているキャンディーを口で拾っている。両手はただ前足みたいに身体を支えて、周りが見えていないように、息を荒くしながら一心不乱に床を舐めるように口を近づけていた。
超キモいんですけど。
だけど、そんな気持ちとは裏腹に、あたしの口からよだれが滝のように流れ出ていた。
「この中は最高に楽しいよ。ほっぺたが落ちるほど美味しいキャンディーもたくさんあるんだ。どうだい? 入って見たいだろう?」
誰がこんな気色悪いところに入りたいものですか。
しかし、あたしは顔に満面の笑みを浮かべて、子供みたいに元気よく頷いた。ここは適当に合わせておいた方が良いだろう。
ピエロはあたしの返事に満足したのか、大げさなくらいに笑う。思わず鳥肌が立つような、独特の、戸がきしむような高い引き笑い。
その瞬間、あたしはこの部屋の扉に全体重をかけて強く押す。決してこの部屋の中に入ってキャンディーが欲しいわけじゃない。今あたしが入れば、この男の世界が壊れるような気がしたからだ。
ピエロは慌てた様子で扉を閉じようとする。今まで顔に張り付いていた笑みが消え、口を強く結んでいた。だけど、口の周りの赤い化粧は口角を上げた、いわゆる笑顔の状態。
「ダメだよ。今の君をここに入れることはできないんだ」
言葉は優しそうな声音で発せられるが、力は全然優しくもかわいくもない。ほどなくして、あたしの必死の抵抗もむなしく、扉は完全に閉じられた。
すると、ポストのような四角い窓からピエロの目だけが見える。このときになってやっと気がついた。これは、ポストというよりも監獄にあるのぞき窓だ。
「オオカミの後を追っていってごらん。きっと楽しいことが待っているよ」
夢や希望を与えてくれそうな声が中から聞こえる。
ピエロは充血して赤くなった目であたしを射抜くように見つめていた。
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