【連載小説】第9話 普通の高校生は人形劇の夢を見る #創作大賞2024#ファンタジー小説部門
第9話 (約3700字)
ケンカには二種類ある。一つはいわゆる決闘というやつ。こっちはあらかじめルールを決める。いつどこでやるか。使っていいもの、悪いもの。勝ちの基準、報酬。イレギュラーはどう対応するか。あたしが挑むのは基本これだ。ルールさえしっかりしてれば、相手が男子だろうと大人だろうと関係ない。もちろん拳である必要もないから女子同士でも問題ない。売られたケンカは全部買う。
もう一つはその反対。ルール無用の無法地帯。乱闘ってところだろうか。勝利条件はある意味、シンプルだ。相手より強ければ勝ち。あるいは、出し抜いた方が勝ち。
あたしは六年と数か月ぶりにこの土地に来た。電車で一時間ちょっとのそう遠くない場所だけど、特に用もなければ来ることなんてない。海星小学校はあたしが五年生になるときに少子高齢化とかいうやつで廃校になり、隣の校区の小学校へ転入することになった。その学校の校舎は何かに建て替わるという話も無い。人気のない校舎は真っ暗で、おあつらえ向きに完全に日も落ちている。
立ち止まって、締め切られた門の前から校舎を眺めていた。夜中に廃校舎に忍び込むなんて、我ながらどうかしてる。だが相手のルールは分かっている。眠った夢の中でここに連れて来られるのだ。だったら現実にこちらから出向いてやる。
ポケットに突っ込んだお守りに触れて決心すると、門をよじ登り始めた。デニムだから登りやすいし怪我もしにくい。横目に校庭を見ながら、あたしは正面玄関へと近づく。たくさんの下駄箱が並んだ、生徒用の入り口だ。ダメもとで扉を引っ張ると、特に抵抗もなく開いた。
このいらっしゃいませ的な雰囲気のせいで、一気に帰りたい気持ちでいっぱいになったが、ここで帰るわけにはいかない。覚悟を決めて、建物の中へ入る。
中の空気はよどんでいた。夢の中で感じるあの、身体にはりつくような、粘りつくような空気。あたしは下足のまま廊下に上がると、迷わず右へ進む。
小学校の時の思い出、と訊かれたらあたしは何て答えるんだろう。友達もたくさんいたし、授業も今よりはずっと楽しかった。運動会も、音楽祭も、クリスマスも、みんなと一緒に盛り上がった。でもそれは全部この小学校へ入学してしばらく後の思い出。入学してすぐの時は、なんかうまくクラスになじめなくて、避けられてるわけでもいじめられているわけでもなかったけど、休み時間になるとクラスから逃げ出した。
正面玄関から入ってすぐの廊下を右へ進み、隣の棟へと移るスロープを進んだつきあたりの部屋。逃げ場所だった、プレイルーム。
あたしはその部屋の前で立ち止まった。開けたらあのピエロがいるような気がする。でも、もうあたしは逃げないって決めた。
扉を開くと、昔に戻ったような錯覚に襲われた。明るい暖色系の照明、鮮やかな原っぱの絵の壁紙に、転んでも痛くないさらっとした素材のカーペット。整理された縄跳びやフラフープ、一輪車。奥にはトランポリンが見える。そして大きな箱に入れられた人形とぬいぐるみ。
あたしはぎゅっと目をつぶって、大きく息を吸う。ここは廃校舎だ。ありえない。
ゆっくりと目を開くと、そこは薄暗い部屋だった。どこかの外灯の光が窓から部屋をうっすらと照らしている。フラフープもトランポリンも無いだだっ広い部屋、ではなかった。
部屋の奥には人間が転がっていた。あたしはへっぴり腰でそこへ近づく。今話題の行方不明者たちだ。報道されていた人たちと、知らない顔が何人か。あと何故かあたしの永遠の恋人ユッキーと出張中のハゲタン。
暗くてはっきりとはわからないけど、見た感じでは誰も怪我をしている様子はない。そっとユッキーの口元に手のひらを出してみる。呼吸は、しているような気がしなくもないけど、微妙。脈を取ってみようと彼の腕を取りかけた時、彼の脇にレゴブロックでできたライオンがあるのが見えた。ライオンだけでない。夢で出てきた人形やらぬいぐるみやらが倒れている人のそばに転がっている。ハゲタンのそばには、乾燥してカピカピになった血がついてる、額に一本の角がある馬もどき。それを目にしたとき、あたしはやっと理解した。あたしの罪を。
「ヴィヴィ!」
思わず叫んで、倒れている人の奥にある大きな箱へと駆け寄った。あの頃と同じ、たくさんの人形やぬいぐるみ。その中に両手を突っ込んで、必死に探した。
クラスから逃げてこの部屋へ来ると、あたしはいつもひとつのぬいぐるみをずっと抱えていた。ちょっと毛のぼさぼさした真っ黒な猫のぬいぐるみ。
「ごめん、ヴィヴィアン! ごめんね!」
箱から取り出すと、綿が飛び出している首を押さえながら、強く強く抱きしめた。
あたしは毎日のようにここへ来て、いつもこのぬいぐるみと一緒にいた。ヴィヴィアンっていう名前だってあたしがつけたものだ。でもある日、あたしがこの部屋へ入ってきたとき、別の子がヴィヴィを持っていたことがあった。あたしは頭にきて、その太っちょの子の手から力任せにヴィヴィをむしり取ろうとした。そのときに互いに引っ張って、首のあたりから綿が出てしまったのだ。あたしは予想もしてなかった出来事にびっくりして、何もできずにいる間にその子は大声で泣き出した。あたしだって泣きたかった。でもその子が泣いている前ではもう、泣けなかった。先生がやってきてこっぴどく怒られて、後で直しておくって言ってたのに先生はそのまま忘れたらしくて、綿が出たまま放置された。あたしは裁縫なんてやったことなくてできなかったし、先生にもう一度お願いするのも言いにくかったし、その頃には次第にクラスになじんできていて、そのままこの部屋には来なくなった。
「ごめんね。ごめん。一番泣きたかったのはヴィヴィだよね」
あたしは涙と鼻水でぐちょぐちょの顔のまま、ヴィヴィの頭を撫でた。
「やあ。こんばんは」
プレイルームの入口側に、人がいた。じーさんが仕事をするときに着ているような和服を着た、控えめに言って超絶イケメンの長髪の男性だ。イケメンというか美人に近いかもしれない。あたしはその人から目を離さないように、ぐちょぐちょの顔を服の袖で乱暴に拭くと、ヴィヴィを部屋の端に置いて立ち上がる。
「これは君の仕業かい?」
中性的な癒し系ボイスの男が、にこやかに微笑む。あたしは無言で右足を少しだけ下げ、姿勢を低くする。だが敵意むき出しのあたしの姿勢を気にする様子もない。
「あんた、何者? なんでここにいるの?」
「ちょっとこの辺を散歩していてね。気になるところを見つけたから立ち寄ってみただけだよ」
「ウソ」
「君はどうしてここにいるの?」
天気の話でもするかのように、穏やかに訊いてくる。敵意は見えないがここは昼間の公園ではない。夜中の廃校舎の一室なのだ。
うっすらと口元に浮かぶ完璧なスマイル。少しだけ傾げた首に前髪が揺れる。真っ黒な黒髪。白い着物のせいか白い肌がほんのり発光しているようにも見える。
こいつ、人間じゃない。何故って言われると分からない。第七感ってやつ。
「問答無用! 悪霊退散!」
あたしは男に向かって走り出した。大ぶりの右ストレートを男は体の向きを変えるだけで避ける。その横腹へ回し蹴りを食い込ませる、はずだった。
空を切った勢いをジャンプして殺し、体制を整える。一瞬前まで触れられる位置にいた男が、完全に間合いの外にいる。
「酷いな。僕が悪霊に視えるかい?」
「アンタみたいなペラッペラの紙みたいな人間がいるわけないでしょ!」
男はすっと表情を消した。先ほどまで浮かべていたアイドルみたいなスマイルは無い。あたしに向き直ると静かに訊ねる。
「いい目をしているね。君、名前は?」
「どいつもこいつも! あたしは前島奈那! 憶えとけペラペラ野郎!」
「前島……知らないな。ソトゴかい? 君の母親の旧姓は?」
「父さんも母さんもあたしもみんな前島だ!」
あたしはポケットに突っ込んだお守りを掴み、男に向かって投げつけた。
男は動じることもなく、右手に持っていた扇子をすっと持ち上げる。まっすぐに飛んだお守りが、扇子の手前で宙に浮いたまま、止まる。
「安産祈願?」
悪霊ならお守りで倒せるかと思ったが、全然効かないらしい。
「くそ!」
効果が無いことと気恥ずかしさから、あたしは走り、お守りに手を伸ばす。だがあと一息のところでお守りは男のてのひらの上へ移動する。
「ああ、この符術は見たことがある。御堂筋だね。御堂の子かい?」
左ジャブ、右フック、右ローキックからの左回し蹴りを、息の合ったダンスをするみたいにかわしやがる。
「前島だって言ってるじゃない! 何聞いてんのよ。バーカ!」
拳も言葉も全然手ごたえが無いのがムカつく。男は爽やかな声で笑う。
「そうだね。御堂なら知っているはずだよね。この護符は強力だけど身につけないと効力が無い。だからほら、君の後ろに。お客さんだよ」
あたしの肩越しに投げられた視線の先。その先を確かめる前に、後頭部に強い衝撃が走る。薄れゆく意識の中で、独特の戸がきしむような高い引き笑いを聞いた気がした。
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