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【掌編小説】夢のサーカス#春のゆびまつり2023

(読了目安3分/約2,400字+α)


 お皿が割れる音がした。わたしは思わず肩をすくめる。

 お皿が割れる音よりもずっと大きな、ママの甲高い声。それを覆い潰すようなパパの低くて怖い声。

 両手の手のひらで耳を抑え、ベッドに座り、目をつむった。閉じたまぶたに、一階のダイニングでパパとママがけんかしている様子が浮かぶ。

 ママとの夕食の時に使っていた、わたしのお気に入りのハート形のお皿。ママがパパに向かって、あの皿を投げつける光景が思い浮かぶ。酔っぱらって帰ってきたパパが、途端に怒り出してカバンを投げ捨て、ママに近づいて殴る。ママも怯まず、パパに怒鳴る。平手でパパのほっぺたを叩く。

 わたしは、ベッドの上に座ると毛布を被った。毛布の中は安全だ。パパとママのけんかの声も聞こえなくなる。

 毛布の中の世界は、わたしの大好きな世界だ。ぼんやりと光る丸い照明をつけると、ふわふわのテディベアのテディ。可愛いフリルのドレスを着たうさぎのミルク。二人の真ん中には宝物を入れた缶を置く。お気に入りのサーカスの絵柄の缶だ。中にはつるつるの石が入っている。パパと一緒に川へ遊びに行ったときに拾った石だ。ママからもらった大きなボタンもある。お誕生日プレゼントの時のリボンは、毎年一本ずつ増えていて、押したら光るお星さまのライトは赤、青、黄色の三色を持っている。

 それらを思い浮かべながら、缶のふたに手をかける。すると、その缶のふたを、白い手袋の手がそっと押さえた。目の前にはピエロが座っていた。わたしはこのピエロのことを知っている。缶に描かれているサーカスのピエロだった。

 ピエロは、右手の人差し指をピンと立てて見せると、その指でトントンと缶を叩き、少しだけ首を傾げる。わたしも同じだけ首を傾げてみると、ピエロはニコリとほほ笑んだ。

 ピエロは缶のふたをそっと開く。思わず覗き込んだわたしは、気が付くと丸い舞台の上に立っていた。サーカスの舞台だ。お客さんの席には誰もいないけど照明が舞台を照らしていて、目を開けるのも眩しいくらい。

 目が少しだけ慣れて、そっと開くとそこにはピエロが立っていた。半分が水玉模様でもう半分が黄色の服を着たピエロで、右の目は大きなお星さまになっている。

 ピエロはとんがり帽子を取ると、わたしに差し出した。さっきまでとんがり帽子だったのに、差し出されたのは真っ赤なイチゴのブーケだ。受け取ってひとつイチゴを食べてみると、お砂糖みたいに甘くておいしい。

 肩を叩かれて振り返ると、大きなテディがわたしの顔を覗き込んでいた。ツヤツヤのおめめでわたしを見ると、テディは両手を広げる。思わずそのふわふわの毛に抱きついた。テディはそっと包み込み、背中をトントンと優しく叩いてくれる。わたしはテディのお腹に顔を押し付けるようにしてふわふわを楽しむ。

 やがてトントンと肩を叩かれて離れると、ミルクがいた。フリルのドレスが舞台衣装みたいで丸いしっぽをフリフリして踊っていた。やがてミルクはわたしと手をつなぎ、一緒にくるくると回る。

 わたしは心から笑った。すごく楽しかった。こんなに楽しいのはいつぶりだろう。

 わたしはテディとミルクと手をつなぎ、舞台の端のソファに座った。マシュマロのソファは白くて弾んで甘い匂いがする。ミルクはわたしにお皿を渡してくれる。色とりどりの金平糖が入っていて、どれも美味しそうだった。

 舞台の真ん中で、ピエロが丁寧におじぎする。わたしたちは拍手してピエロがいろんな芸をするのを眺めた。大きな玉や一輪車に乗ったり、大きなブランコをこいだりしてみせる。

 わたしがもっと小さかったとき、サーカスを見に行ったことがあった。近くにサーカス団が来たから見に行こうと、パパとママと両手をつないで見に行った。三人一緒に笑って、驚いて、楽しんだ。

 両手につないだ、テディとミルクの手にぎゅっと力をこめる。二人はわたしの顔を心配そうにのぞき込む。あふれそうになる涙をこらえて、二人を交互に見つめると立ち上がった。パパとママのところに帰りたい。

 気がつくと目の前にピエロが立っていた。ピエロはわたしにクッキー缶を差し出す。三人で行ったときに買ったお土産のクッキー缶を、わたしは宝物入れに使っていた。

 ピエロは人差し指をピンと立て、その指でトントンと缶のふたを叩いた。缶のふたを開けると、わたしがベッドで寝ていた。お家のベッドではない。病院みたいなところ。口と鼻を覆う透明なマスクをして、パパとママがそれぞれ両手を握ってくれている。ベッドで眠るわたしに向かって二人が話しかけているけれど、声は聞こえない。

 わたしは缶の中に呼びかけようと口を開く。するとピエロが私の肩を叩き、人差し指を口元に近づけて首を横に振った。

 ピエロは缶のふたを閉じ、人差し指の上で缶をコマみたいにくるくると回す。わたしはその缶を奪おうとするけれど、手が届かない。

『返して!』

『どうして? ここは君が望んだ世界だよ。ここならずっと楽しく幸せに過ごせるんだ。現実の世界は、毎日パパとママがケンカしている。パパに殴られたり、ママに怒られたりするんだよ』

『それでも、パパとママと一緒が良いの!』

 テディがピエロを後ろから掴んだ。その隙にミルクがピエロの手からクッキー缶を奪う。ミルクが差し出した缶のふたを急いで開けると、わたしは缶の中に叫んだ。


「パパ! ママ!」


 わたしの声が遠くから聞こえたような気がして、目を開く。目の前には、パパとママの顔があった。二人とも疲れたような顔をしていたが、わたしを見ると目を輝かせた。

「エミ!」

「エミ!」

 二人はわたしの手をぎゅっと握り、泣いていた。パパが、はやく先生を、とママに言うと、ママが慌てたように部屋を出て行った。

 わたしはゆっくりパパの方へ顔を向けると、枕もとにテディとミルク、宝物入れのクッキー缶があった。クッキー缶に描かれたピエロが、またおいで、と笑ったように見えた。



ピリカ様の春ピリカグランプリ2023に関連して、5月は「ゆび」をテーマにした掌編をアップしております。目標片手の5本に対して、5本目のアップです(1本は足の指だけど大目に見てください)。お仕事っぽく言うと達成率100%。1本ずつの質はどうあれ、目標はクリアです。



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