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2021年の振り返り、あるいは自由と不自由の間のしなやかな浮遊について。

「自由」ということをここまで意識したのは、あの2016年、半年間オーストラリアに留学にいったとき以来だった。僕たちは何からも自由でありたいと願うくせに、誰かに人生を預けたくて仕方がない。

異国の地、人間関係もreputationも完全にリセットされたあの世界で、僕は足がすくんで動き出せなかった。自分で決めるということはエネルギーが要ることだと知った。







2021年、これだけ自由が制限されていても、僕はのびのびと生活している。なんなら、決めてくれない国や会社に少し腹立ったりもする。もちろん決めてくれたことに対しても腹立つのだけど。

人間は、自由になればなるほど「孤立の恐怖」に直面させられる。この絶望的な恐怖に人間は耐えられない。
『自由からの逃走』エーリッヒフロム




2月、館山まで電車で行った。外にいるのが全く苦にならない冬日和だった。海は自由の象徴のように思う。どこまででも遠くに行けそうな。どこまででも遠くに行きたくなってしまうような。そういった開放感を与えてくれる。

波に乗っている人たちを眺めながら、何かを考えていた。手には紙のノートとボールペン。何を考えていたのかは覚えていないのだけど。

そういえば、館山から富士山が見えた。遠くから見てもこんなに綺麗。そりゃあみんな大好きになるよね。





3月11日、あの悲惨な災害から10年目をむかえた。いつくるか分からない首都直下地震と富士山噴火に怯えながら、そこに思いがいたるのはたまにくる震度3の地震のとき。リスク回避と正常性バイアスを器用に使いこなす人間には感服する。



東京に住み始めて4年目。もはや僕にとってはこっちが日常。でも東京で生まれ育つことと、東京ではたらくことは、全く違う意味を持つことを知る。

地方と東京の格差なんてこれまでほとんど感じてこなかったのに、ようやく何のことなのか、腹の底まで落ち切った気がした。僕はやっぱり地方生まれであって、でも京都という地に無駄なプライドを抱えているので、余計に厄介だ。

9月、伏見稲荷で

東京駅はいつだってあたたかい。母校同志社と東京駅を同じレンガ造りにしてくれた先人に感謝を。








地方移住やワーケーション、副業独立。いろんな働き方や生き方をする人が増えた1年。自由であることがかっこいいこの時代に、それでも毎日同じ場所で働く意味を考える。

選択的夫婦別姓が話題になった。自由であろうとする人々が自由に声を上げられる世界が広がっていた。



5月〜7月、毎週末キャリアコンサルタントの講座に通った。体力的には結構きつかったけど、人生の先輩方とキャリアを学んだ2ヶ月は価値ある時間だった。無事試験にも合格したので、自分で選ばないといけないこの世界で、誰かの選択を支援できたら嬉しいと思う。



『分断』が本格的にキーワードになった。12月に手にとったのはこの映画。

こんなにも残酷な世界を、「すばらしい」と言い切ってしまうことを美しく感じてしまった。






年が暮れに近づく頃、大切なひとたちと日光に行った。五重塔の塔の構造はスカイツリーにも応用されていて、各層と結合していない心柱が揺れることで耐震の役割を果たしているんだそう。

強いということは、すなわちしなやかであることだと思う。時間をかけて原型に戻ることができるなら、一時的に形を変えることは決していとわない。





山口周さんの『ビジネスの未来』で、インストルメンタルからコンサマトリーへの転換が語られた。未来という呪縛から自由になるということは、「いま幸せですか?」という問いに直面させられる気がする。

4年前の書初めで既に似たようなことを言っていた自分も大したものだ。

「いまここ」を大切に。自由と不自由のあいだをしなやかに生き抜きたい。ぎゅっと押されても10秒かけてゆっくりもとに戻るような。波にはのっても決して沈まないヨットのような。





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