日本サッカー協会
その名の通り、日本のサッカー界をまとめている団体。今は公益財団法人。
川淵三郎さんが、会長の時には愛称をキャプテンと名乗った時だったり、サッカー界の公の発表ごとをする、建物JFAハウスでもお馴染み。
文京区本郷、通りにサッカー通りとも名付けられるほど、地域密着でもある。
キリンチャレンジカップでも、有名なくらい、協会自体がスポンサーをつけていて、各種調整、マーケティングに電通を使うという、もはや私営利企業のような大きな団体とも言える。
以前書いた川淵三郎さんの回の時に、Jリーグ創設への委員会のことを触れたが、その時に実は役所サイドでジョインしていたのが、その後、官僚からサッカー協会専務理事へ華麗なる転身を遂げた、平田竹男さんである。
平田さんについては、サッカー界内外で、様々な意見、批評をされる方だが、客観的事実と、本人の言葉で聞いた身からすると、日本代表の強化のうち、海外、特に日本とは身体的にも、環境的にも全く異なる地域と試合をすることで経験を積ませは分野(これをご本人であり、協会の言葉を借りればマッチメイク)においては、近年稀にみる成果を残した方だと言える。
本人がきちんと、サッカープレイヤーであったことや、語学に堪能だったこと、さらに上記川淵三郎さんとプロリーグ化に向けて頑張ってきたこと、ももちろん複合的に重なってのことではあるが、そのマッチメイクの背景は、自身の通産省時代の赴任や業務で築いた人間関係によるところが大きい所が、普通のサッカー界とは異なり良かった。
もちろん、今ではヒデが一声掛けたら世界中の錚々たるメンバーを集めた世界選抜や、各国代表、世界的な強豪チームが馳せ参ずるだろうが、今回のサッカーワールドカップ同様に、自力で一回(しかも敗戦)、自国開催出場レベルの日本が、世界に胸を貸してもらい強化をするのは、金を積んだだけでは、厳しくて、もちろん世界における経済大国としての日本を交渉カードにしながらも、結局は人間平田竹男を出して、各国を呼び寄せたことは、
一時代のサッカー強化のあり方としては非常に分かりやすく良かったのだと思います。
そして、人脈はサッカー界に限らず多岐に渡り、親友が敬愛している沢木耕太郎(ノンフィクション作家。深夜特急など)を、大学の講義に呼んできてしまった時には、感動を超えて、敬服したことを覚えています。
私もいつか、スポーツビジネスに関わり、日本を元気にすることができれば、平田さんに恩返しができるだろうな、と思っています。
いつの日か、必ず。
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