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或る缶への想像

或る展示会に行った。
そこには潰れた空き缶の写真が有った。
或る人はその写真を見て素晴らしいと褒め称えた。
捨てられる運命にある空き缶の悲哀が巧く切り取られた良い写真だと言っていた。

一通り展示を観終わり帰路につく。
駐車場であの人を見かけた。
駐車場の自販機で缶コーヒーを買って飲んでいた。
飲み終わると、もう満杯のゴミ箱に缶コーヒーだったモノを押し込んで、一瞥もせずに車に乗った。

缶は容器としての用途の為に産み出される。缶コーヒーだったモノは使命を全うしたと言える。
かたや、空き缶は缶の成れの果てで本来の価値は無い。
もし缶に自我が有って今日の光景を目の当たりにしたら何と思うのだろうか?

でも、この想像に意味は無い。

だって、缶はただそこに在るだけだから。

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