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I'm feeling blue (because of jet lag)

2週間ほど更新が空いてしまいましたが、みなさんお元気にしていましたでしょうか。実はこの2週間の間、アメリカ東海岸の某都市に出張に行っていました。

当然ながら、海外に行くのはコロナが始まってから初めてで、実に3年弱ぶりの海外。リスニング力が落ちた気がするし、それ以上に英語圏のノリというものを完全に忘れてしまっていることを痛感する。

全く以ってあなたの話す 全てが英語の様で解らない

ライン

まあ、「英語の様」というか英語なんですけど。

あたしに何かを伝える手段をはき違えている

ライン

さすがにアメリカ人が英語でいろいろ伝えてくることを「手段をはき違えている」とは思わなかったけど、コミュニケーションツールは使わないとさび付くという、言ってしまえば当たり前のことに気づかされる。

その一方で、母国語がまるで英語の様に聞こえてしまうというのは、母国語が必ずしもコミュニケーションツールとして有効に機能しないことを示しているわけで、興味深い表現だな、と思う。というのも、村上春樹もエッセイの中で面白いことを書いていることを思い出したからだ。

人前で話すということに限って言えば、日本語でやるよりは(いまだにかなり不自由な)英語でやるほうがむしろ気楽なのだ。それはたぶん、日本語で何かまとまったことを話そうとすると、自分が言葉の海に飲み込まれてしまったような感覚に襲われるからだろう。

村上春樹『走ることについて語るときに僕の語ること』、文春文庫、152頁

aikoはここ2,30年で最も傑出した作詞家の一人でもあるから、村上春樹とはまた違った形かもしれないけど、

それなりに自在に有効に言葉と文脈をキャッチし、かたちに換えていくことができる

同上

ことは間違いない。そんなaikoにとってみれば、「あなた」の言葉は、言葉の海に飲み込まれてしまったものに感じられるとしても不思議はないのかな、と思う。

***

ところで、この記事のタイトルからも分かる通り僕はかなり時差ボケに弱い。アメリカの東海岸とは夏の間は13時間時差があるから、ほぼ昼夜逆転するのでいつもひどい目にあう。学生の時、初めてNYに行ったときはメトロポリタン美術館のベンチで爆睡してしまったけど、よく何も盗られなかったものだと今思い出してもひやひやする。

そして、今回はアメリカでの滞在が長かった分、日本に帰ってきたらきたで、また時差ボケになってしまっている。おかげで、どうも夜眠くならないので、もう午前1時になろうとしているのに、今夜もカタカタnoteを書いている。寝付けなくて憂鬱なので I'm feeling blue をかけながら。

今夜もシャララ歌ってる I'm feeling blue

I'm feeling blue

そんなこんなで夜更かしをしていると小腹も空いてくる。僕は海外旅行中には日本のものを食べなくても全然平気なので、今回もずっとアメリカンな外食ばっかりだった。野菜が少なめで不健康なことと、折からのインフレと円安のせいでとんでもない値段だったことを除けば、ジャンクフード好きの僕にとっては数週間のアメリカ出張ならそれで十分。別に寿司もラーメンも焼魚もいらない。

でも、いま僕はI'm feeling blueを聴いてしまって、深夜でもやっている家の近くの豚骨ラーメン屋に行こうかどうしようか、とんでもなく葛藤している。

あなたを思う気持ちは天下一品なのに

I'm feeling blue

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