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映画で知り、本で生き、舞台で弾ける。

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映画、本、観劇の記録です。 この3本の柱でわたしは成り立っています。
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#エッセイ

映画館の隅っこで、未来をそっと夢見てた

【映画にまつわる思い出 with WOWOW 参加作品】 少し戸惑っていた。 私は映画に少し戸惑っていた。 今の私の素直にな気持ちである。 ありとあらゆる映画をテレビやスマホで見れる時代になった。 映画好きにとっては最大級の幸せな時代なのかもしれない。 しかし、子供も頃、母に連れられて行った映画館の子供さえも魅了する雰囲気が忘れられない。 重い扉を開けて中に入ると、外の世界と一線を画した世界がそこにあって、きらびやかな世界というより、その反対のどこか秘密めいた世界があった。

みんな、ホントウの自分で、おやんなさい

『みんな、ホントウの自分で、おやんなさい』とは、映画「トイレット」のサブタイトルだ。映画を観終わると、この言葉の意味がよくわかる。 もたいまさこさんが出てる映画は、何となく観たくなる。そしてその映画が荻上直子監督だと、やっぱり猛烈に観たくなる。更に言うならフードスタイリストは飯島奈美さんだ。このカップリングが好きな女性は多い。それと同じように拒否反応を示す人も多いのかもしれないが、私は大好きだ。なんか心にもやもやがあったり、他人のことが必要以上に気になり出したりした時に荻上

今日も更紗は、絶賛生存中

数年前にこの本に出会った。私にとっては「家庭の医学」よりも体の為になる本だと思っている。 私はいろんな持病もあり、精神的に「もう嫌だな」と思っていた時に大野更紗さんのことを知った。そしてその足で本屋に直行してこの本を手に入れた。難病を扱った闘病記は他にもたくさんある。それらのほとんどは神妙な面持ちで読まれることだろう。この本も括りでいえば闘病記になるのだろうが、この本はそんじょそこらの闘病記とはちょっと趣が違うのだ。 笑える。 こんな大変な苦しい思いをしている人のことが

誰もが小林聡美になりたがる

SNSのフォローは海外のモデルや女優やとんでもないセレブだったりして、やれ流行のメイクがどうの、着ている服がどうの、などと騒いでいるが、そんな流行にほいほいと流されながらも、ある程度の人生を経験した女性たちは、ふと我に返ってみるとやはり小林聡美さんには敵わないと思い知る。 私も御多分に洩れずその中のひとりで、目標とか理想とかそういう言葉では言い表せられない眼差しを彼女にむけている。彼女のドラマや映画を数え切れないほど観てきた。最初の出会いは1988年に放送されていたドラマ「

史上もっとも迂闊な四畳半

『愉快』な本である。 『おもしろい』とか『楽しい』というのとはちょっと違っている。『愉快』としか表現のしようがない。「森見登美彦・四畳半タイムマシンブル〜ス(原案・上田誠)」を読み終えた。それもたった半日で。頭の中に登場人物が現れる。そして彼らのドタバタとした行動が私の頭の中で繰り広げられる。目は本に向かって文字を追っているのだけど、その映像が映し出されていく不思議さを感じる。クルクルと場面が変わりクルクルと人の気持ちが流れていく。とても愉快な経験だった。この技法はどういう

師を選ぶ。存在を攫われそうで怖いけど

歌うたいが切ない歌の弾き語りで、女性達をメロメロにすることがあるように、この人は文字でそれをやってのける。それも31文字という短い文字でだからたまらない。誤解がないように言うとメロメロになるのは女性だけではない男性もそうだろう。僕も俺もその文字の中に埋もれて眠りくなるに違いない(あくまでも個人的見解ではあるけれど) 短歌や川柳が好きでいろんな歌人の短歌を読んだりするが、私自身は短歌を作ったことはない。これからも作るかどうかわからない。でも木下龍也さんの作品がとても好きで彼が

これもまた幕末の青春の証拠

「チーム・オベリベリ/乃南アサ」を読み終えた。 ひとことで言うなら圧巻であった。私の知らない歴史がここにあった。 明治十六年、英学塾の学友だった依田勉三・鈴木銃太郎・渡辺勝の三人は北海道開拓を決意、「晩成社」を立ち上げて同志を募り、十勝の原野に入植した。彼らが選んだ地はアイヌの言葉でオベリベリ。今の帯広である。十五年で三千万坪を切り拓く予定だったが、厳しい自然やバッタの害などで開墾は遅々として進まない。女性を含めて三十名いた開拓団も脱落者が相次ぎ、どんどん減っていく。そん

[映画FANDANGOに寄せて] あの日に戻りたいと、駄々っ子のように泣きたい時もある

AmazonPrimeを検索していて懐かしい映画を見つけた。子供の頃の写真をアルバムの隅から見つけたようなふわっとする懐かしさだ。一瞬にして80年代に戻ってしまう。何か忘れ物をを見つけたような微妙な高揚感が私を包んでいる。 1985年のアメリカ映画「ファンダンゴ」もう4〜5回目くらい観ているだろうか…。一番最初に観たのは21歳くらいの時だったと思う。仕事帰りにレンタルビデオ屋に寄るのが日課となっていた。あの日も疲れ果ていた。それでも真っ直ぐに家に帰る気がしなくて、面白そうな

明日死ぬとしても、今日も美しい本を読む

人の眼、闊歩、足踏み、とぼとぼ歩き、怒号と喧噪、馬車、自動車、 バス、荷車、足をひきずり体をゆさぶって歩くサンドウィッチ・マン、 バンド、手風琴、頭上を飛ぶ飛行機の凱歌とも鐶の音とも奇妙な高調子の歌声とも聞こえる爆音、こういうものをわたしは愛するのよ。人生を、ロンドンを、六月のこの瞬間を。 (ダロウェイ夫人より一部抜粋) 6月はとうに過ぎてしまったが、ヴァージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」を読み返してみた。この作品はロンドンの6月のある1日の朝から晩までの出来事を描いたも

Modern Love...滑らかさで恋をして

夏場は恋愛したくないなと昔から思っていた。それは今も変わらない。でもまあこの年齢になって恋愛はまずない。夫もいるし、不倫なんて夏の恋愛以上に嫌なこと。夏の恋愛が嫌なのは暑くて意識が平常ではない上に、汗でネチネチベトベトしているからだと思う。学生時代に夏休み明けの女子たちによる「ひと夏の恋」と題された恋話を聞くのがうんざりだった。夏は汗ダクで手なんて繋ぎたくないし、ハグもしたくない。それ以上のスキンシップなど身震いしそうだ。それと同時に苦手なのが日本の恋愛ドラマ&映画。それは恋

髪をゆらす風にさえ気がつかない世界がここにある

私は死にたいという言葉で安易に自分の憤りを処す人間で在り続けている―。一歳と四歳の娘と始めたパリでの母子生活。死から逃れるための突然の帰国。夫との断絶の中、混迷する東京での日々...。生きることの困難を綴る二年間の軌跡。 (Google books紹介文より) 「パリの砂漠、東京の蜃気楼・金原ひとみ」を読み終えた。 金原ひとみさんがパリと東京で過ごした日々を綴ったエッセイ。まずこれを読んで思ったのが、金原さんは気取った女性なんだなということ。でも自分の思いに素直で忠実だと