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映画で知り、本で生き、舞台で弾ける。

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映画、本、観劇の記録です。 この3本の柱でわたしは成り立っています。
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#毎日note

[映画] 明日の食卓

子どもを産んだこともない、ましてや育てたこともない私が、この映画の感想を語るなんてどうなんだろうと思いながら、でも観た以上は自分なりの考えを書いてみようと思う。母親になった経験はないが、子どもになった経験はある。どちらかに偏ることなく書くのはとても難しい。癌になった経験のない人は癌患者の気持ちがわからないように経験のないことを語るのは、想像力が必要だ。 物語は...石橋あすみ、石橋留美子、石橋加奈という同じ苗字を持つ3人の主婦が主人公。この3人は住んでいる地域も違うし、生活

日常性というこのもっとも平凡な秩序こそ、もっとも大きな罪がある

占いと予言の違いは何なんだろうか?
この本「第四間氷期・安部公房」を読み始めた私の最初の疑問だった。

予言機械なるものが作り出されたところから物語は始まる。 

『地球にある陸地は水の底に沈んでしまう。
異常気象、温暖化、人間のエネルギー大量消費による二酸化炭素の増加...
そのような原因から、いずれ海面が高くなって...』
現在のニュースでも時々聞くような台詞だ。
これが62年前に書かれた小説だというのが信じられないくらいの生々しさがある。 

そしてその来る日に備え

忘れたくても残ってしまう『すべて忘れてしまうから』燃え殻

著者・燃え殻さんのことはまったく知らないでこの本を選んだ。本屋で平積みにされていた中で一番私が好きなタイプの表紙だったという理由で。パラパラと中を見ていると、短いエッセイとそれに合わせた絵が描かれていて、時々シュールな写真なんかも入っていて、「好きなタイプ」に間違いないと思って買った。そして読んだ。 読みながら思ったのは、燃え殻さんはとても若い方なんだろうなということ。「若い」の定義は曖昧だからどう表現していいかわからないが、年齢的にいうと20代後半から30代半ばではないか

[映画FANDANGOに寄せて] あの日に戻りたいと、駄々っ子のように泣きたい時もある

AmazonPrimeを検索していて懐かしい映画を見つけた。子供の頃の写真をアルバムの隅から見つけたようなふわっとする懐かしさだ。一瞬にして80年代に戻ってしまう。何か忘れ物をを見つけたような微妙な高揚感が私を包んでいる。 1985年のアメリカ映画「ファンダンゴ」もう4〜5回目くらい観ているだろうか…。一番最初に観たのは21歳くらいの時だったと思う。仕事帰りにレンタルビデオ屋に寄るのが日課となっていた。あの日も疲れ果ていた。それでも真っ直ぐに家に帰る気がしなくて、面白そうな

明日死ぬとしても、今日も美しい本を読む

人の眼、闊歩、足踏み、とぼとぼ歩き、怒号と喧噪、馬車、自動車、 バス、荷車、足をひきずり体をゆさぶって歩くサンドウィッチ・マン、 バンド、手風琴、頭上を飛ぶ飛行機の凱歌とも鐶の音とも奇妙な高調子の歌声とも聞こえる爆音、こういうものをわたしは愛するのよ。人生を、ロンドンを、六月のこの瞬間を。 (ダロウェイ夫人より一部抜粋) 6月はとうに過ぎてしまったが、ヴァージニア・ウルフの「ダロウェイ夫人」を読み返してみた。この作品はロンドンの6月のある1日の朝から晩までの出来事を描いたも

髪をゆらす風にさえ気がつかない世界がここにある

私は死にたいという言葉で安易に自分の憤りを処す人間で在り続けている―。一歳と四歳の娘と始めたパリでの母子生活。死から逃れるための突然の帰国。夫との断絶の中、混迷する東京での日々...。生きることの困難を綴る二年間の軌跡。 (Google books紹介文より) 「パリの砂漠、東京の蜃気楼・金原ひとみ」を読み終えた。 金原ひとみさんがパリと東京で過ごした日々を綴ったエッセイ。まずこれを読んで思ったのが、金原さんは気取った女性なんだなということ。でも自分の思いに素直で忠実だと