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ついに自由は彼らのものだ



もうかなり前になりますが、脱サラして養蜂業をやり始めた時、収穫したハチミツは地元のイベントで売っていた事があります。適当に巣箱を置いて、その上にエンジ色の布を敷いて、ハチミツを並べていました。商品ポップは特に作らず、段ボールの裏に「朝焼けを朝の歌とし 夕焼けを夕べの歌とす」とマジックで書いて、ポップ代わりにハチミツの隣に立てかけていました。

この言葉は三好達治の「鴎」という詩の一節です。たまたま三好達治が好きな人がいて、それがきっかけで自分のお客さんになってくれたらと思っていたのですが、ブースがかなり地味だったのと私のやる気の無さが原因で、華やかなイベントの雰囲気からは浮いてしまい、あまりお客さんが来ませんでした。それが何回か続いたので、自然とイベントには出なくなってしまいました。

ところで、三好達治の「鴎」に関してはさまざまな解釈がされているのですが、その中ですごくしっくり来る論文があったので引用したいと思います。以下大妻女子大学の飛高隆夫教授の論文からの抜粋です。

この詩には、見る通り、別に難しいところはない。空と海との間の広々とした空間を自分たちの世界として、自由自在にふるまい、生を楽しんでいる鴎の自由さを称えたものである。彼らには、今や「謎」も「運命」も関わりはない。第四連の「彼ら自身が彼らの故郷」であり「彼らの墳墓」であるということは、鴎たちには、彼ら自身の生も死も自分自身で握っているということである。つまり彼らにあるのは現在だけであり、彼らに意味があるのは現在だけである。こうして、彼らはすべての運命からも解き放たれ、完全な自由を獲得したのである。これこそ、詩人三好達治にとって、絶対的な理想の境地であろう、絶対に到達不可能な。それを三好は、鴎に託して夢を見たのである。

「到達不可能な絶対的な理想の境地」

私の場合、それをミツバチの世界に見ているのかも知れないです。



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