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授業で「音は兵器になる」と教わった

専門学校時分、SR(いわゆるPAやレコーディングのクラス)の授業にシットインしていた。シットインを許可してくれた工藤聡史先生の授業はとても楽しく、科学と教養に満ちていた。

ある授業で先生は昔話をしてくれた。
とある新興宗教団体からの依頼で、超低音域がフェイズするような洗脳向けの音楽をお願いされたのだという。人間の耳はうねるような低音を聴き続けると、ちょっとおかしくなってしまうというか、判断力が鈍ってしまうのだという。
先生は嫌な感じがしてその仕事は断ったというが、たぶん誰か別の人がその仕事を請け負ったのだろう。

続けて、音響兵器について解説を始めた。
当時9.11以後のテロとの戦いが中東で勃発していたが、戦地では音が大きくなるように設計された爆弾が使われていた。人は極端に大き音を聴くと恐怖を感じるし、鼓膜が破れることだってある。あるいは眠る時間を削ぐために断続的に爆裂音を発生させたりする。そのために作られたものだ、音の兵器なんだと。

先生は「音楽には力がある。それは良くも働くし、ダメな方向にも使われる」と続けた。
音楽には、リリカルな表現ではなく、具体的に力がある。

先日、東京五輪に向けてブルーインパルスが飛行した。直下で観覧された方は、その音量に胸が躍ったはずだ。
大きな音が具体的に人の心を揺さぶるのは、疑いようがない。そしてその中にあるメッセージに畏敬の念を抱いたりする。

それは恐怖の反作用のようなものだ。

神社でお祓いを受けるときに大きな太鼓をドーンと鳴らす。教会の鐘がけたたましく鳴り響く。太鼓のリズムで婚儀を執り行う。世界中のありとあらゆるセレモニーで”大きな音”は利用されてきた。
それは人間の防衛本能を逆手にとり言い分を飲ませるやり方、というのは少し意地悪な感じもするが、事実そういうものだ。

僕も仕事柄、爆音を出す側の人なので、その高揚感やストレスが吹っ飛ぶ感じはよく理解している。だけど、だからこそ気をつけなきゃいけないなと思う。音楽で感動を届けたいとか、人の心を動かしたいとかいう気持ちになっちゃうのは、音楽の力の具体的な行使であるとともに、一種の暴力なのだと。それで相手を動かすことが、本当に正しいことなのか考えていかねばならないと。

先生はこうまとめたように記憶している。

「結局僕らはミュージシャンである前に、社会人でなければいけない。社会人としてダメだなって仕事は断ればいいし、人としてダメなことはやっちゃいけない」

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