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隙があるので自分語り


はじめまして。鹿目と申します。どうせ新しい名前を付けて活動するのだったらもっと文豪のような名前にしたかったのですが、随分と短絡的な名前になってしまいました。でも文豪ではないのでサマになっていると思います。

TwitterやInstagramはともかく、ブログのようにインターネット上にこうしていつもより長い文章を綴るのは初めてなので緊張しています。実は中学生時代に個人サイトで二次創作をやっていたのですが、思い出すと頭の裏の奥の底の方がむずむずして健康に悪そうなのでなかったことにします。

最近、というよりは大学に進学してから「頭が悪くなったなあ」と漠然と感じることが増えました。「頭が悪くなった」というよりは「頭を使わなくなった」の方が正しいのかもしれません。得意だった英語の知識はどんどん薄れていき、数学はおろか塩分濃度の計算もどうやるんだ?と頭を抱える始末。多趣味を豪語して人並み以上に頑張っていた絵や歌、ギターの演奏などといった趣味もどんどん縁遠いものになっていってしまい、自己分析本の「大学時代に頑張った事は?」の問いにガチ泣きしてTwitterの病み垢を臨時開設した時もありました。さらにはレポートで培っているはずの語彙力も拙くなっていき、tinderでつまらない返しばかりするメンズに憤る大学一年の夏は遥か昔、今では上手い返しをする女はモテないと思いわざと「え!やば笑」「面白すぎ爆笑」など表現を怠るような返答に慣れてしまいました。(実際にこの方が会話は続く)(つまんない)

こうして特に何の取柄もなければ他人に評価もされない虚無虚無大学生になってしまったのですが、高校時代、短歌やエッセイなどの文芸においては何度か表彰で登壇した記憶があります。現代文の先生に自習中「あんた、文章書くのだけは続けなさいよ。もったいない」と耳打ちされたのもずっと記憶に残っています。傍から見たら、たかが学生時代の表彰、たかが先生の気まぐれアドバイスだろ、と思われているかもしれませんが、他人の評価がまるまる自分の評価だと感じてしまう私にとってはこの経験がすべてなのです。この経験は高校を卒業した後のダメダメ大学生の私にこう思わせてくれました。


――きっと少し、すこしだけなら文才があるのかも。それなら私、文章を書ける人間になりたい。言葉はきっと私を豊かにしてくれるはずだから――。




そう思ってから3年ほど経ち、ようやくnoteのアカウント開設に至りました。我ながら腰重すぎじゃありませんか?

まあ、なんとかこうして始められたので良しとします。何かを始めるのに遅すぎることなんてないよね!(人はいつ死ぬかわからないぞ)

書きたいことが特に決まっている訳でもなく、ゴールを設定している訳でもないのでいつまで続くかわかりません。この文章を読み返してみても酷い文だと感じますし(かといってどう改良すればいいかもわからない)ちゃんと成長できるのか?とかなり不安です。でもとりあえずこの悪くなった頭のリハビリも兼ねて「日本語をとりあえず並べてしゃべる人」から「ちょっと上手いこと書ける人」になれるまで自分のペースで頑張りたいと思います。頭を使う機会を増やすことで一刻もはやくこの頭の悪さから抜け出したいです。よかったらお付き合いよろしくお願いします。

ここまで読んでくださった方がいるとしたら本当に嬉しいです。自分語り、気持ちよかったです。ありがとうございます。ついでにがんばれって言ってもらえると多分強くなれます。



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