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私がべべばーを通して挑戦する理由

「人に優しくする」ことができる人の強さを感じるようになった。

生きてるだけでも、世の中の理不尽とかしんどいこととか、関係者の都合とか、自分にはコントロールできないことがたくさん。

自分の悲しみと余裕の無さを、仕事や日常生活の中で誰かに向けることで、ごまかし発散しているような人の気持ちがわかってしまう。私も、例外なくその瞬間がある。


世の中いろんな人がいて、それぞれの都合がある。

何かを受け入れるキャパシティも決まっていて、向かっている方向性もバラバラ。

はなから、それら全部を受け入れることなんて出来ないとわかっているのに、お店をOPENしてから「人を受け入れる」ことにどこかで縛られていた気がする。

・自分にできるのはそれだから。自分の価値はきっとそこにあるから。

・お店が誰かにとっての、拠り所であってほしいと思っているから。


でも、二ヶ月くらい死ぬほど仕事してみて気づいたのは、「全員を受け入れることは無理だ」ってこと。

私は男のプライドや仕事の肩書きを振りかざしてコミュニケーション取る人は嫌いだし、それで相手との立場をはかろうとする下心も嫌い。

そんなの他のどこかでやれって思う。コザやこの場所にまでヒエラルキーの概念を持ち込んでくるな、と。

いろんな事実や至らなさを直接私から聞くのではなく、悪いケースを勝手に想像して影で変なことを吹き込む輩も嫌い。

日替わり店長の制度やソーシャルバーの価値をわからず、場貸しのなにかだと思っている人には来てほしくない。

勝手に全財産があるカウンターの中に入って好き勝手する非常識な人も嫌い。思いやりをもって接することが出来ない人も嫌い。お酒のせいにする人はもっと嫌い。

この世の中生身で生きてて大変なんだから、この距離感の私達こそ思いやりを持ちより合うべきでしょ?って思う。

「自分が支払う」概念をどこかに置き忘れている人も嫌い。ここは飲食店であり、自由に使えるスペースや誰かの家ではないことを念頭に置けない人も大嫌い。

これわざわざ言わなきゃいけないこと?当たり前のライン引きから必要?と衝撃を受けたり。

嫌いがあった。誰かを愛するための、優しい空間を作るはずが、「嫌い」がそこにたくさんあった。


私が我慢できれば、許される範囲が広がって、その瞬間の彼らの笑顔は保たれることを知った。「これは私は至らないから」だと思って、(実際にお酒の作り方とか値段設定とかオペレーションとか全然出来てなかったから)それらを笑顔で受け入れて消化しようとした。

でも、一ヶ月くらいで限界が来た。

余裕がどこにもなくなって、消費される心身ともに、相手への配慮や優しさが消えてしまった。バーは、ソーシャルバーは、「関係人口を広げる、人が目的になる」のに、一番大事なその軸を、全然大切に出来ていないことに気づいた。


だからルールを作ることにした。

自分ではないモノに、嫌いなものを排除させようと思った。

自分の口から様々な抑制を直接伝えるのは、しんどいと思ったから。


ルールを作った。これはしないでね。私はお店側はこう対応するよ。こうしてもらうことを願ってるよ。書き留めて、店長たちに共有をした。


ーー

開業にあたって、色んなことを、全部自分でやろうと駆使してきたように思う。でも、「自分だけじゃできない」ことを、現実にたたきつけられ、結果沢山の人に救われたお店つくりだったなと思う。

例えばその一つは下記にまとめたペンキ塗り。

お店作りをしてOPENするまでの過程もわからないことだらけで見事にしんどかったけど、お店をOPENしてからの方が大変で覚悟がいることは、心のどこかでわかっていた。

OPENしてから見える事実や、人や、この街の文化。お店のオペレーションや、コントロールしようのない様々な人や優先順位。とんでもない旅路になるだろうなと。(見事に大変な今・・)

「知らない場所で、コミュニティーの核となるような役割で、事業としてどう成立させるか、継続性持たせるか、そりゃ大変でしょう。」

と、年末、ある人からおっしゃる通りのことを言われた。


OPENして二ヶ月、お酒を作ってくれるスタッフを雇うことにした。日替わり店長とは別で。

チームはなかったけど、同じ視点でこのお店の将来や課題について向き合って話してくれる仲間を見つけた。

そして「他のコミュニティを巻き込めばいいんじゃない」という優しい人にも出会った。

一人でなんて、楽しい未来を描ききれない。もうしんどいと弱音を吐くことも、熱く将来を語ってこうしようああしようと試行錯誤することも、自分のままであり続けることも、出来なかった。

もっと、頼って、もっと、「助けて」といえる裸の状態でいた方がいい。そういたい。

一人でどこかにたどり着こうとするには、随分と広すぎる場所を自分のものにしてしまったので。

ーー


全員を愛するのは無理だから、顔の見えない人まで愛するのは難しいから、今関わってくれている「顔の見える人たち」のためにこの場所を持とうと、二ヶ月経ったところで思った。

彼らが連れてくる人たちはきっと素敵で、きっと静かにその輪が広がっていくことで、素敵な場になると思ったから。

私にかかるストレスも負担も少なく、必要以上に消費をせずにその場にいれると思ったから。


顔の見える人たちをお客さんにした時、起こるのは、感情の振り幅の少ない、温かい感情が多めの場所。

というより、「最初からそれが確約されている」可能性の高い状態であること。

私は必要以上に心を揺さぶられることはないし、その瞬間は幸せ。


と同時に、反面、べべばーの存在がもっと多くの人のもとに届いてほしいと思っている自分に気づいた。

「聞いたことある、あの場所ね」「あの場所に行きたいね」、そういう場所であってほしいと。


よく恋愛の話で「モテるでしょ」という言葉を聞くけど、「多くの誰かの愛されるより、自分の好きな一人に愛されないとなんの意味もない」と思う。本気で思う。

でも多くの人に愛されることは単純に嬉しい。自分が魅力的な人間であることを女性としても魅力があることを、客観的に示された気がして。

今までタイミングがあわなくて小さな恋をしてきた人たちの存在は、日常の中に小さな刺激をたくさんくれた。そして、自分の心の中にある小悪魔な部分に気づかせ、欲深いことや嫉妬深いこと、ずる賢いことや都合よく嘘をつくことも教えてくれた。

多くの人に愛されることは、刺激的で楽しいのと同時に、

自分の「きれいじゃない」部分をあらわにし、それらも含めて自分なのだと気付かされる。表面的な愛情や、誰かの下心に狂わされることもある。


受け入れる手を広げれば、お店にどんな人が来るのかわからない。毎秒、自分の限界値を超えてくるかもしれない。許せないと思う瞬間がずっと増えて、憎しみにさいなまれるかもしれない。

でも、それはきっと大小の話であって、その痛みが伴う環境をそもそも先に選んだのは私なのねと思う。だからなんでも我慢すればいいってことではないけれど。


そして逆に、素敵な想定外も、出会いたくて出会った人との出会いもやってくる。

自分の知らなかった場所へ、自分を数ヶ月後に運んでくれる。

このお店を作ったときに、それを感じた。「作っただけ」でたくさんの人が動いた。それはきっと、作ることが誰かにとってすごいことだったから。

本当に多くの人の目に触れる機会を頂きました。


沖縄に来て10ヶ月。お店の開業を決めて8ヶ月。

(開業することが決まっていなかった)去年の3月くらいは自分のキャリアに迷って夜な夜な悶々として、海岸沿いで相談電話とかしてた。その頃の自分から、今の私が持つ悩みも、戸惑いも、恐怖も、経験も、出会いも、喜びも、想像はできなかった。

開業することで、学んだことや外部登壇、自分の再発見等、新しい世界が平然と待っていて、「手を広げること」が持つ力を感じた。

↑去年を月ごとに振り返ってみたnote


 一度きりの人生。この世の中で好き勝手できるリミット。

私が、目の前にやってきた色んなチャンスを直感で掴むのは、この瞬間しか出来ない経験をするためだ。

アンコントローラブルなものばかり。世の中には自分の力ではどうしようもないことばかり。

だから、「自分が選択」することで経験できるのなら、と、人よりも熱狂的に手を伸ばすんだと思う。

なにの目的も持たずに初の沖縄に来た時も、初めましてのコミュニティへ裸一貫で飛び込んだ時も、開業することをその日で決めた時も。移住の決断も、全部その感覚。


「誰かが絆創膏を貼ってくれるなら、頑張れない?」

そう、言ってくれたある人の言葉をふと思い出した。


無意識に、傷つくことを恐れて、「何かを背負って、持ってしまっている」と勘違いしている今の自分に気づいた。

その姿は、コロナの影響で物理的に動かず、失敗を怖がって何もしないことを決めていた去年。一年前の自分と同じだった。

こうやって無意識に、自分が「やらない」ことを選択する。それが悲しい変化だとは気づかずに。肩書が一つ増えたって、そんなのなんでもないことだというのに。


「何も持たない」ことが、私の価値ないプライドを砕き、周りの人たちとの距離を近づける。
何も持たないことが、自分の心を柔軟にして、自由に足を動かすことを恐れなくする。

ってことを、今年は忘れずにいよう。


私はもっと多くの経験をしたい。

一度きりの人生で、一度きりの経験を重ねたい。

人の優しく出来ない悲しみや憎しみがあふれる世の中で、屈託のない喜びを味わっていたい。

傷を知った上で、誰かに優しくできる器でありたい。

知らない世界を知って、もっと世界は大きいのだと笑っていたい。


そのために私は、べべばーを、もっと「手を広げて」、誰かに届けようとしてみるのかもしれない。その先にある、沢山の人達を巻き込んだ化学変化のために、今の自分を超えることにもがいてみるのだと思います。

べべばーにとって今年は、根を張りコミュニティを作る年。

「じっくり着実に」。何度もここに立ち戻って、歩いていきたいと思います。

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